ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

幸福論

2024/7/23

ノンフィクションは練習でした。

もはや練習をしても、書くことがなくなってきました。いつも通り「面倒だな」と思いながら練習に行き、いつも通り練習をしていればやはり楽しく、そしていつも通り、帰りはまた「面倒だな」と思いながら帰りました。あまりにもいつも通り、変化点はありません。コージ君が最近ちょっと不運であるとか、サポートベースこのみさんが忙しそうであるとか、それくらいの違いはありますが、大別すればすべていつも通りです。私のピッチやリズムが安定しないのも、この歳になっていつも通りなのです。

こんないつも通りが、ひょっとしたら大層、幸せなことなのかもしれません。何でもないようなことが、なんて歌っている人もいましたね。コージ君も話を聞けば不運ですが、それでもこうやっていつも通りが送れているのは、幸せなことなのかもしれません。いや、車のフロントガラスが飛石で割れるのはやはり不運ですね。それは不運ですよ、マジで。

しかしながら、今幸福であっても、やはり違いを求めてしまう、向上を求めてしまうのが人間です。もっと良くなりたい、もっと良くありたいという思いは、どうやったって捨てられません。日常の幸せなんてそれはそれ、悪いものと比較すれば何だって良くなります。戦争してる国に比べれば何やってたって幸せです。しかしそれでも、我々は何かを求めて、日々を大いに嘆いているのです。

それはある意味ではとても不幸なことなのかもしれませんが、幸福を求める事をやめる事ほどつまらない人生はないでしょう。幸福でつまらない人生よりは、不幸でも面白い人生の方がマシってもんです。願わくば、いつまでも満たされず、何かを求め続けていきたいもんです。それで何もなくなってしまうほど、世界というのは小さくないでしょうて。