ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

素晴らしい音楽

2024/2/5

夜、ノンフィクションは練習でした。昼下がりに、先日買った冷凍のチュロスを油ケチって揚げようとした結果、6本ほど炭化させてしまって意気消沈していたので、その鬱憤を晴らすかのごとく、ディストーションを叩きつけていました。食らえ、これはチュロスの分。まぁチュロスから見れば仇は私なんですが。

サポートベースは猫jealousyのこのみさん、ドラムはコージ君です。このみさんは「全然あってないです」とか言いながらビタビタのベース弾きますし、コージ君は未だ無限にドラムの試行錯誤を行い、PDCAを回し続けています。頼もしいサポート陣に囲まれてとてもありがたい限りです。たぶん本メンバーの合計練習量より、彼らの練習量の方が多いです。というか単純に私が練習してないだけです。してない事はないんですが。

練習はともかく、上手くなる意識は結構、常に持っているつもりです。最近は「バスドラを叩く瞬間ではなく、音の立ち上がりの瞬間に、自分の音の立ち上がりを合わせる」というのを意識しています。バスドラと他の楽器、というかすべての楽器の音の立ち上がりの速さは違うので、打の瞬間ではなく音の瞬間に合わせるのが肝要、というのをツイッターで見ました。ありがとうツイッターランド。というかFireloop店長の足立さん。あの人の発言はめちゃくちゃ参考になります。

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バンドを始めて15年、楽器を始めてからは20年近くが経ちますが、まだまだわからない事だらけですし、まだまだ上達の余地がいくらでもあるのは驚くほかないです。1から100だと思っていたら、1.000、みたいな小数点第3の位まで見え始めてきました。まだまだ下がありそうで、恐ろしい話です。同時に、やはりとても楽しく思えます。やりがいしかありません。

とはいえ、私は性格的に毎日数時間とか練習できるタイプではないので、そこはもう少し諦めています。幸いにして、技術的に難しいことはやっていない、というかそういう曲をあまり作らないので、私の必要分を揃えるのにはそこまで練習はいらないのです。代わりというか、発想であったりアイデアであったり、最近やってるベースだけでなく色んな楽器をやってみたり、そっちの方が性に合っているので、そういう点で「音楽」というモノを探っていくのもアリだと思っています。

とかく音楽は良いモノです。言ってもやり込んでできる事といえば「素晴らしい音楽が奏でられる」以外にはないのですが、それがどれだけ素晴らしい事か、その辺りは個人より歴史の方がよく知っています。人生を費やす価値がある、人や私がそれを信じるか信じないかに拘らず、少なくとも歴史にはそう書いてあります。