ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

生みと毒薬

2020/5/13

 

 

 

 

 

昼食を作りながら、the pillowsの「GOOD DREAMS」を聴いていた。

贔屓ではない曲、何度も聴き飛ばした曲が流れて、その曲のとある歌詞にふと励まされた。とても嬉しい気持ちである。

このアルバムを初めて聴いたのはいつだったか、もう覚えてない。たぶん高校生くらいだった。飛ばし飛ばしで好きな曲ばかり聴いていたが、それでも何十回と聴き直したアルバムである。ピロウズのアルバムの中でいえば、私の中で真ん中くらいの順位であるが、それでも当時は飢えていたので、何度も何度も聞きまくっていた。

 

ずーっと聴ける音楽がある。

高校くらいで出会って、現在に至っても、まだ聴こうと思う時がある、そんな音楽が、確かにある。

何故かはわからない。昔馴染みというバイアスもあるだろう。しかしそれらの音楽、昔から今まで何度も聴く音楽は、総じて「地味に良い」ものな気がする。

いや、地味というと語弊がある。派手さがない、と言い換えた方が良い。とにかく、そういう音楽群は、どこか他に足のついた、現実に馴染むように広がる、そういう特徴がある。俗に言う「スルメ曲」であるものが多いと、あくまで個人的にはそう思う。

 

「派手さ」は毒である。

派手な音楽は刺激が強い。初聴の衝撃、新感覚の振動、なんじゃこりゃと脳味噌が支配されて、数日ずっとその曲を聴いていたという経験は、誰でもある程度はあると思う。私も当然ある。

だがそういった音楽は、大体何年かすれば聴かなくなる。耳が慣れる、というか脳が覚えてしまうのだ。派手という毒は、毒ゆえに耐性が付きやすく、免疫を得てしまえばその毒は効かなくなる。そして派手な音楽は派手さが消えた瞬間、武器を失う。その派手さに由来した魅力もまた消えるのである。今ブルゾンちえみ見ても面白くないのと一緒である。それは少し言い過ぎたかもしれない。

そういうものを、「スルメ曲」に対して「ガム曲」と私は呼んでいる。大学時代の友人の造語であるが、うまいこと言ってると思う。気に入って使っている。

派手な「ガム曲」に対して「スルメ曲」というのは相対的には地味である。しかし、その良さが何に由来しているのか、その理解に時間がかかる。もちろんいずれ脳は慣れるのだが、慣れたところで「何故良いのか」の由来はわからず、わからないまま良さは続く。「なんとなく好き」のまま味わいは続いていく。

ちょうど、ラーメンと白米みたいなものだと思う。油を大量に投与したラーメンは旨い。旨いがそれは油を大量に投与したから旨いのである。毎日食べるのは辛いだろう。だが白米は毎日食べられる。そして「白米の何が良いの?」という問いに、答えられる人間はあまりいないと思う。少なくとも私は「なんとなく好き」としか言えない。

結局、それが本質的な良さなのだろう。「白米を何故好きなのか」という問いは「食」という概念そのものの、根幹の魅力に関わるものなのだと思う。同じようにスルメ曲というものも、「音楽」としての根幹の魅力、つまるところ「音が気持ち良い、歌詞が心地よい」という、そういう所に根差しているのだろう。

 

しかしながら、難しいのはね、ガムはガムで、良いのだよ。

あの衝撃は、スルメでは到底味わえることのない、独自の刺激を持っている。そしてそれもまた、音楽という文化の一側面である。ラーメンは当然のように、旨い。毒、身体に悪いものは大体、旨い。

あと、究極に俗な事を言えば、作り手として、ガムなものは、とても「ウケがいい」のである。

クリエイターは、常に過去作を越えなければならない状況にある。その中で、良いとはわかっていても地味なものを出すのは、相当に勇気のいる事なのである。「派手さ」とは、「キャッチー」や「ポップ」と言い換えることもできる。

良いものを作るのは当然として、じゃあどの程度まで良くするか、どこまで派手にするか。出す以上は、当然残るモノを作りたい。しかし、出す以上は、当然、ウケたい、のである。葛藤は常に続いている。

もちろん、私もである。

 

この「スルメとガム」論は結構昔から思っていて、私はそれなりに調節しながら曲を作ってきたつもりである。もちろん派手なものは派手なもので好きなので、1枚のアルバムの中でバランスを取るように、散らしてきたつもりである。派手な曲の方がバンドは人気は出やすいだろうけど、大量生産はしたくなかった。こういうと売れてない言い訳みたいで最高に格好悪いけど、事実だから仕方がない。ちくしょうめ売れたい。

何にせよ、すべての思いを汲んで、汲んだものを絞り出すように、また曲を作らなければならない。何が良いか、それらはすべて、そもそもは自分由来なのだ。

 

「ムキになったこだわりは ちゃんと君を見守ってるぜ」

そんなに好きではない曲で、そうピロウズは歌っていた。救われる思いである。