ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

憧れ ワズ

2023/12/18

早朝にちょっとした仕事があったので、早起きをしていました。早起きと言っても8時くらいのもんですが、今の私の生活サイクルの中では異常のやつです。軽く仕事を終えたら、せっかく早起きしたので近隣を散歩、パン屋が開いていたので塩パンなどを齧っていました。風は肌を刺すように凍てつき、空はどんよりと曇り。年末らしくなってきたじゃないか。年末年始って、何でか曇りですよね。何でだろう。

部屋に戻ったら少し寝て、起きたら何やらツイッターランドが山田亮山田亮一と騒がしい。どうやらツイキャスをやっているようです。そこからは諸作業をしながら、ツイキャスを垂れ流していました。

 

氏の話も歌もギターも、かつての私の憧れであります。なのでツイキャスもとても嬉しく聞いていました。しかしながら私も今や34です。単純に憧れるキッズには、やはりなれないことを改めて実感しましたね。それは考えが変わったとか、彼への興味を失ったとかそういうわけではなく、生意気ですがシンプルに、一人の音楽をやる人間として、バンドに焦がれる人間として、歌や話を聞く立場になったということだと思います。考え方は変わっていません。変わったのは私の在り方です。

もちろん好きです。氏が4月からやるというバンドも楽しみですし、ハヌマーンの曲をやると聞いてウキウキしています。しかし同時に、我々も負けていられん、とそう思うのであります。当然あらゆる面でボロ負けをしているのですが、そういうことではないのです。

昔は本当に、ただの憧れキッズでした。ああなりたいと本当に思っていましたし、歌詞や振る舞いなど、色んな点を真似をしていました。そしてそうやっているうちに、私は山田亮一ではなく、私は私自身を突き詰めねばならない事に気がつきました。山田亮一みたいな歌詞ではなく、私から出る、私の歌詞を、私は書かねばならんのです。私の進む道と辿る道を、私は歌わねばならんのです。山田亮一らしさではなく、私らしく格好つけねばならんのです。

未だに歌詞を書く時、彼の言語がチラつくことがありますが、その時は明確な拒否も受領もせず、きちんと私の判断基準で選ぶ。それが肝要です。純粋に、一人の音楽をやる人間として、彼とは戦っているつもりです。

まぁ、彼が大好きなのには違いないのですがね。それでも私は私を突き詰めます。それが私にとって、私にできる、最大限にして最上位の格好つけです。それが通じないならもうどうにもならんので、その時は笑うだけですね。そんな感じです。