ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

6月18日 鉛害のはなし

朝は、10時半に、起床。

いかん、ダメだ、これは、無理だ、全身が鉛じのように重い。鉛、鉛、なまり、これなんて今や日常に殆ど絡まないのに、鉛というだけで重さの代名詞のように使われるのは如何なものか、しかし「鉄のように重い」と言うと、硬さとか強さとかも絡んでくるので、今後の世界も鉛は形而上を中心に使われていくだろう。

閑話休題、まぁ全身がキツイ。なんだかんだ昨日も、バンド業務を3時までやっていた。それなりに事は進んだが、現在はこのザマである。とりあえず、水を飲む。

 

さて、どうするか。本日はバイトはなく、バンド業務の日である。どうするか。

しかし、どうするかも何も、キツイ。どうしようもないのだが、「どうしようもないです」と言えば済む話ではない。せねば、せねば。

 

動き出せず、時が過ぎる。

昼なので、昼食を食べる。昨日、実家より作って持ってきた握り飯を、味噌汁を添えて、適当な動画をお供に、食べる。食べたら、少し元気が出たので、やる事一覧表を見てみる。相変わらず、多すぎてうんざりする。相変わらずと言っても、そりゃやらないと変わらないのだが。

どれもこれも面倒だが、一番やる気が起きるやつ、新曲のデモ作りをする。制作ソフトを起動、脳内の旋律を0と1に翻訳していく。ドラムをポチポチ打ち込んで、ギターをギャーと入れ、ベースをビューと入れ、歌をイョォーと入れる。ワンコーラスできたら、満足感と共に、一息を入れる。

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もう日常ではあるが、曲作りってのは本当に面白いもんである。音楽なんていう空間芸術は、作ると言っても、モノが存在する訳ではない。演奏されて初めて、存在が発生する。演奏が終われば、消える。そして誰かが覚えている限り、永久に存在するのである。凄すぎて目眩がしちゃう。

同時に、不完全なモノを作ってしまっても、ワンチャン永久である。バンドってのは年数を重ねると、だいたい初期の曲でイジられるもんである。その気恥ずかしさは知っている。気をつけねば。

 

終わったら、通販のTシャツの作業をする。

先日出来上がったので送ろうとしたら、微妙なミスを発見した。ミスというか、気づかなかったインクの汚れである。手刷りの製作は、こういうのが弱い。我慢できず、昨夜作り直して今に至る。

無事に完成したTシャツにアイロンをかけ、インクを定着させる。終わったら畳んで、梱包して封筒に入れる。宛先を印刷して、貼る。あとはポストにおまかせ。

少ない枚数でも、それなりに手間はかかる。これ、なんとかせねばならんかもなぁ。

 

終われば夕方、実家へと赴き、飯を頂く。

その後は居間でまったり、というか、ぐったり。入浴を済ましても、まだ身体は重い。何故か兄と羅生門の話など、する。映画の羅生門はね、いいぞ。ストーリー羅生門じゃないけど。

 

物資をパクって、事務所に戻る。

昼作ったデモを確認して、書き出して、メンバーに送る。ソウイチロウ君からは「曲名がいい」という言葉をもらう。もっと他にも褒めろ。

ブログを書き出して、今、である。

明日はバイト、深夜に練習。早く寝たほうがいいかもしれんが、まぁ、作業、作業ですよ。

リミットブレイクしてブレイバー撃つ前に、何とか、休まねばならんな。