ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

本の話と本当の話

本って、高くなりましたな。

書店に行ったら、文庫本でも平均150円ずつくらい上がってる気がする。嫌な世だ。

 

十執念が終わって、久々に、本をたくさん買った。小説からエッセイから、タイトルが気になったやつ、高いやつを除いて、片端から、10冊くらい買った。

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これを古本屋で、あと書店で数冊買った。

 

久々の充足感。やっと本が読める。

別に、本を読む時間が全くなかった訳ではない。どちらかというと、本に浸かる時間がなかった、という方が正しい。

本だけではないが、物事を本気で楽しむには、完全に意識をその次元に飛ばす必要がある。それでいて、初めて、心から楽しんだといえる、と私は思う。

しかし、その次元を飛ばすという行為がね、結構に疲れるのですよ。精神力を使う。

特に、久々に本を読むとき、相当な力で腰を上げなければならない。1冊読んでしまえば、なんて事はなくなるのだが、昨年はその1冊さえも読む余力がなかったのだ。

 

まぁそんなこんな言い訳しながら、読まない自分を正当化して生きている。今日からまた、本を読む。

実は、私は本を読む事が、死ぬほど好き、という訳ではない。それがなければ、生きていけないなんて事はない。

しかし、言葉を書く人間として、本は読んでおかねばならぬ、と思っている。脳を鍛えておかねば、出るものも出ない。

言ってしまえば「野菜食っとかないかん」みたいなものである。もちろん、好きは好きなので、楽しんで読んではいるのだが。「本の虫」みたいな状況ではない。

 

実際、昨年、特に後半ほとんど本が読めていなかったせいか、歌詞を書くのにいつも以上の苦労をした。日常でも、言語野が衰退しているのが、感覚でわかった。

本を読んでいれば、もっといい歌詞が書けたかもしれぬ、と、少し悔やんでいる。まぁ、単に疲れていただけかもしれないが。

 

まぁ、何にせよ。また読もう。過去は過去。その歌詞だって、逆に言えばその時しか書けなかったものだ。それはそれで尊重せねば。

唸れ左脳、輝け言語野。よりよい表現のために。

 

余談。

「本を読むのが続かない」という人は、読むのを中途半端な所で止めるといいです。面白くなってきた、続きが気になるところ。脳を「続きが読みたい」状態にすると、前向きになれる。

 

あと、章分けしてある小説を、章ごとに区切って読むのは、実はあまり良くない。次読み出す時、前のくだりを忘れているので、一気に面倒くさくなりますぜ。

中途半端にコツコツ半分くらい読んで、時間ある時に残り半分トドメを刺す。というのが、なかなか良いです。

 

本を、読もうぜみんな。