ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

無駄というもの

 

 

 

 

2021/10/6

 

無駄といふもの

 

水曜日なのでラーメンを食らった帰り、ゲオに行ってレンタルビデオを物色していました。

所狭しと並ぶ映画群、一つの棚を見るだけで、何万何千という製作陣によって作られた何千何百時間の映像がそこにはあります。どんな名作、大作であっても、十年経てば前の作品、二十年経てば昔の作品です。それでもフレームに収められた2時間前後の映像は、撮影当時のまま永遠に色褪せず、そこにあります。諸行無常のロマンを感じます。

今回は何を見ようか、と、じっと棚を眺める。見たい作品は無限にありますが、時間は有限なので悩みます。レンタルなので返却もある、結局借りられるのは2〜3本です。今の気分と今後の気分を考えて、あれでもないこれでもないと、パッケージを出し入れします。

人によっては、こうやって眺めている時間は勿体ないと思う人もいるでしょう。悩まず即決して借りて帰って即見れば、たぶん月に3本くらいは多く見られるのかもしれません。そもそもレンタルビデオなんて、返しに行く時間は勿体ないと言えば勿体ない。しかし、こうやって唸りながら棚と睨めっこする時間が、私にはたまらなく愉悦なのです。少しも無駄とは思いません。そもそも脳の思考履歴なんてのは、1秒たりとも無駄はありません。創作をやっているならなおさらです。

最近、「コスパ」に代わる「タイパ」なる言葉の存在を聞きました。タイムパフォーマンス、つまりどれだけ時間を短縮できるか、というものです。移動や選択の時間を省いて、とにかく無駄なく効率よく人生を回していくそうです。

タイパ、タイパねぇ。どうですかねぇ。やってる本人は賢く立ち回ってるつもりかもしれませんが、私には非常に浅く思えます。時間の無駄を楽しめない人生なんて、私には御免ですな。

そりゃもちろん便利は良いです。私だってわざわざ不便を選ぶ事はあまりないですが、不便を嫌いすぎるのも考えものです。例えば自転車で5分くらいの距離なら、たまには歩いて行ってみると色々面白かったりします。自転車では見れない景色と感触が、そこら中に広がっております。それでも15分もあれば着きますしね。

だからサブスク全盛期にレンタルビデオなんてのも、中々オツなものですよ。少なくとも、ここに来なければ出会えなかった映画、思わなかった思考が私にはいくつもあります。

無駄を愛せ、なんて言いませんが、邪険にするほど嫌なヤツでもないですよ。話してみると楽しかったりします。もうちょっと楽しんで行きましょうや。

それでも、1時間近くレンタルビデオ屋にいたのは、さすがにやり過ぎたかもしれん。これは少し無駄だったかも。