ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

ウラミ&ツラミ

 

 

 

 

2022/6/16

ウラミ&ツラミ

流れていく日々の中、仕事と仕事の合間、時間の無駄をした携帯を置いて、立ち上がるまでの数分間、ふと、昔のことを思い出します。

こういう時に思い出すのは、大抵嫌な記憶。私の人生をねじって痛めたクソ共のこと。人生を狂わせるのは不運や不幸、もしくは私の不手際、そうでなければ何処ぞのクソのせいです。前者2つなら諦めのつく年齢になりましたが、クソ共だけはいくつになっても許せません。何があっても、いつになっても、許しません。

流石にもう怒りはないですよ、流石にね。そりゃあ過去を思い出せば少し沸いてきますが、その怒りを普段から抱えているわけではないです。

あるのは怨み、ただひとつ。これだけは当時から一点たりとも曇らず胸の中にあります。あの時の気持ちは少しも劣化していません。定期的に取り出しては埃を落とし、しっかりと磨き、常に鮮明に私の中でドス黒く輝いています。

よくツイッターなんかで、「他人の事を恨んだり、怒ったりしてる暇があったら自分の事をしろ」みたいな言説があります。それはそうかもしれません。それができる人間はそうしたらいいです。私はできないのでしません。人を怨み、昔の怒りをいつまでも覚えている、それを含めての私だと思っています。もちろん、つまらん怒りや恨みを抱えてるわけではない、という自負はあります。私の胸に残る怨恨は、どれも真っ当な、純度の高いものです。

言ってしまえば十代の頃の怨みも、いつまでも引きずっていますが、これはもう許すとか、許さないとか、そういう問題ではないのです。大事なのは、あったか、なかったか、その一点です。許すということは、不本意ながらできなくはないですが、あった事実は変わりません。

それに、私が許してしまったら、奴は許されてしまうのです。それだけはあってはならない。私が許したとしても、奴が許されるのだけは我慢がならん。それだけは、本当に、駄目なんです。

あった事実は一生変わりませんし、一生許すことはありません。復讐したい気持ちも勿論ありますが、コスパが悪いうちは実践に移す事はないでしょう。

だから私は一生、こうやって流れていく日々の中で、ふとした瞬間に昔のことを思い出して、沸々としているのでしょう。私だってね、無闇に怒りたいわけじゃないですよ。でもこれは仕方ない事なんです。落としてしまった指なんかと同じ、どうしようもないことなんです。不満を言っても何も始まりません。これからも元気に恨んでいきましょう。