ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

フベンリ

 

 

 

 

2022/6/12

フベンリ

日本の一次産業の一角に、助力をしてきました。

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要するに、農業です。親族が行う田植えの手伝いに、朝から駆り出されておりました。午前9時の集合でしたが、そんな時間は私にとっては早朝に近いため、気合いで準備をしていました。

手伝いと言っても、田園に長靴突っ込んで泥にパンチするようなことではなく、運転されるトラクターに苗を装填する係りでしたので、そんなにキツくはないです。トラクターに沿って植えられる苗を眺めながら、のほほんとしていました。空ははっきりとしない曇天でしたが、もう太陽も暑い季節なので、こういう作業の日には非常に助かります。雨も降らずによかった。

ふと見渡してみると、空が広い。辺りには田んぼに畑、近くに学校、工場やラーメン屋があるくらいで、高い建物がほとんどないので、とても広がって見えます。曇天とはいえ、空が広く見えるのは開放感があって良いものです。土や草の匂い、鳥の声も混じって、長閑を体現したような景色でした。うむ、心地よい。

この心地よさはとても好きなので、こういう場所で暮らしたい欲求はそこそこあるのですが、まぁ、不便でしょうな、色々と。コンビニどころか自販機も数少ない、街に出るには車で数十分、繁華街に行くにはそれ以上です。現代でインターネットは完備されたとはいえ、物理的な距離ってのはもう、どうしようもないもんです。

便利に慣れすぎた、というよりは、便利が網羅された結果、不便に耐える力が落ちてるような気もします。しかし便利に罪はなく、あるものは使うべきです。便利ってのは、やはり便利ですので。

不便ってのは不便ゆえに人が離れて、それが長閑に繋がってることもあるので、それなりに切って離せない関係性にあると思っています。私はインターネットとコンピューターと楽器があれば、生涯を無限に遊べる自信はあるのですが、やはり不便ってのは不便です。実際に暮らしてみれば、すぐに後悔するでしょうて。かといって街、便利に近くなれば、人が集まりこの長閑は消失してしまう。

ううむ、難しいもんです。この憧れと欲望は、いつか調和する日がくるのでしょうか。