ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

6月30日 ようこそ30代

9時半頃、目を覚ます。

目が覚めたら30歳だった。私が生まれたのは早朝らしいので、これで名実共に30歳である。さようなら20代、そしてようこそ30代。よく来やがったな、歓迎はしないぞ。

だってほら、身体がもう、とんでもなく重い。何故だ。昨夜はそこまで夜更かしをしていないし、7時間は寝ているはず。しかし身体が、これは、ヤバいくらいある。水を飲んでバナナを食らうも、またも寝床に倒れこむ。

これが30の洗礼なのか、もう少し眠る事にする。今日は誕生日だ、ちょっとくらい、好きにさせてくれ。

 

11時頃、目覚める。

外は曇っている。予報は雨だったが、雨は降っていない。今の私のように、なんとも中途半端な気候である。

1時間ほど追加で眠り、まだ眠いが、流石に少しはマシである。コーヒーを淹れて飲み、昨夜実家から頂いたパンも飲む。

誕生日だが、作業はせねばならん。「ヒズミ回奏」は、できれば今日公開したい。昨日考えた歌詞を少し書き足し。珍しく、結構サクサク出てくるものだ。全体を整えて、完成させる。後は歌うだけ。

流石に寝起きに歌うのは良くないので、曲用の絵を描く。絵は毎回、別にそこまでこだわって書いている訳ではないが、今回はちょっと、特に時間が足りなかったか。もうちょい凝ってもよかったかもしれぬ。時は既に遅いが。

書き終えて、時間は昼。

本日は誕生日であるので、ささやかながら、好きなものを食べに行く。着替えて外に出て、自転車を起動させ、私の一番好きなラーメン屋「はし本」というラーメン屋に赴く。

到着、ここは美味いが、少しだけ高い。一杯650円、「福岡基準では」少しだけ高いのである。850円の味玉ネギ入りを食べようと思ったが、小銭事情的に、そうすると替え玉に万札をださねばならず、面倒になる。ネギは諦め750を券売機に導入投入する。

 

ラーメンが、来る。んん、はし本、久々だぜ。

レンゲですくって、スープを、飲む。

神経が、打ち震える。これは、うまい。

少しずつ、麺を味覚に通していく、泣きそうなほど、うまい。

いわゆる、濃厚な豚骨なのであるが、「濃厚な店」特有の獣臭さというか、荒れるようなクセが、ここのラーメンにはない。その配分が、私にとっては絶妙なのである。

 

何度も息を吐きながら、替え玉まで食べ終える。至福である。しばらく店で惚けたのち、挨拶をして店を出る。

そう、誕生日である。今日はもう、とことん、やるぞ。コンビニで、コーヒーと菓子を買い、自転車を走らせ川沿いへ。川を眺めながら、啜り、食べる。いやぁ、もう、至福、至福でしかない。

 

至福だが、雨が降ってきた。小雨ならまぁいいが、粒が太くなってきたので、急ぎ帰る。ぬぅ、至福を邪魔しおってからに。文字通り水を差された気分で、事務所へと戻る。

しばらくは、呆とする。

湿度が、高い。ジメる。気温はそこまでないのに、じっとしていると汗をかいてくる。扇風機を天井に向けて空気を回し、何とかやり過ごす。しかしまぁ、不快である。

やる気が起きない。いや、ある意味ではいつも通りではあるが、まぁ起きない。気圧のせいか?気圧のせいにしておこうか。うん、仕事、できず。危機感は募る。またコーヒーを淹れ、やっとこさ動画を少しいじったら、また落ちる。

しかし、「ヒズミ回奏」は今日せねばならぬ。パソコンで歌詞を表示しながら、ギターを持って、歌う。「カレイナルヒビ」という。曲である。本日加齢した私にはぴったりの曲であろう。何回か歌って、アレンジも多少いじっていく、40分ほどアレコレしたのち、何とか完成形を作り出す。そのまま、昼描いた絵をパソコンに取り込み、動画で上げる。

なんとか、一仕事は終えられたか。夕方になったので、実家へと赴く。

実家でも、私の誕生日を、そこそこに祝ってもらった。ありがたいこってす。イイジ家は、私以外は本当、凄まじいまでのいい人達であります。私の申し訳なさを感じながら、祝いを受け取る。

食後にはケーキも頂いた、30にもなってケーキて、と笑い合いながら、食べる。非常に美味であったが、結構大きいサイズだったので、少しだけ胃が過剰になる。そこそこダラりとしたのち、事務所へと戻る。

戻り、ツイキャスを始める。1時間ほど、やいややいや喋る。少し今日は、過剰にネガティヴだった気がする。いかんね、あまり言い過ぎでは、愚痴のようになってしまう。聴く方は、気持ちよくはないよなぁ、反省。

1時間ほど話して終える。そこからは、ブログを書き始める。

 

30は本当に、想像以上に、重い。ここからは、そういう精神的な重圧も、厄介な敵になるだろう。嫌だ、あぁ嫌だ。現状の敵にも劣勢なのに、また増えるか。嫌だなぁ。

そう思っていると、夕食時、実家にて、30歳にうなだれていると、「30歳に慣れるのではなく、30歳は想像より若いことに気がつくんだよ」と兄に言われる。

少しだけ、救われる。