2020/12/4
クラシックからの切っ先
福岡の、とあるカフェで、「亡き王女のためのパヴァーヌ」が、素敵なアレンジで流れていました。穏やかで、良い。
クラシックは全然詳しくないのですが、パヴァーヌは好きです。「亡き王女のためのパヴァーヌ」なんて、タイトルも素敵。異国情緒を感じます。あとはジムノペティも好きです。でも一番好きなのはドビュッシーのアラベスクです。情緒溢れる音楽、良いですよね。逆に、技巧を効かせるためだったり、明るくハッピーみたいな曲は苦手です。この辺はバンド音楽と変わらん嗜好があります。
考えてみりゃ、クラシックとかの音楽って、「音楽」という概念が受け継がれていってるんですな。我々が耳にするのは大体、作曲者本人ではない誰かが演奏したものであります。
我々の音楽は、我々が作り、歌い、演奏するものです。そのデータもインターネットの大海に流しているので、人類が滅びかけでも、ワンチャン滅びても残り続けます。
しかし昔の音楽は、昔の人が考えた、単純に言ってしまえばリズムに沿った音程の上下、それだけが受け継がれているのです。もちろん楽譜はありますが、楽譜自体が音楽、という訳ではないので、音楽そのものは目に見えない、誰かの考えた上下であります。
そう思うと、想いは悠久に飛びます。イギリスだかどっかよ誰かの脳内で考えた、最初は多分喉で鳴らしていたその音楽が、現代、福岡の片隅のカフェでボサノバアレンジされて流れている。それはとても素敵な事だと思います。コーヒーの味もより深まる。
我々の作る音楽は、幸か不幸か、我々という形、殻、パッケージをもって浮世に流れていきます。
明日はライブです。これでも作曲者、楽団の端くれであります我々は、生きてる限り人類の音楽文化の最先端にいます。
北九州という街の西小倉、その場所で、我々なりの切っ先を、観ている方に突きつけていきます。
宜しく、お願いいたします。