ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

ノーゲーム

 

 

 

 

 

2022/8/24

ノーゲーム

最近、あまりゲームができていないのです。

本もあまり読めていません。映画はそこそこ観られています。時間がないかと言えばそういうワケではないのですが、なんとなくのタイミングがよくない。今の私の生活のテンポが本やゲームとあまり合わんようですな。

そして、例えばいざゲームができる時間があるとしても、なんとなく「ゲーム」というだけでやるのが後ろめたい気持ちになりませんか。私は少しなります。やらなければならない作業なんかをそこまで放逐しているわけではないのですが、やはりゲームといえば息抜き、遊び、時間潰しという感覚があってしまいますよな。いや、実際そうなんですけどね。間違いではないのですが。

本当はゲームったって媒体のひとつなんで、作者のしたい表現をどういう形でこの世に顕現させるのかという話ですよ。作者の脳内世界を、小説にするか、映画にするか、演劇にするか、漫画にするか、音楽にするか、アニメにするか、はたまたゲームにするか。そういう話なんだと思います。一番ふさわしいモノを選ぶべきだと思います。

映画では、小説ではできない同時進行や映像の表現があります。小説には映画ではできない緻密な表現や静謐な空気があります。そしてゲームは、受け手が能動的に物語に干渉できるという唯一の媒体です。また台詞やシナリオ、テキストが一切なくても、受け手がキャラを動かせば物語が進むという特性もあります。どれが優れているじゃなく、一番適したモノを選ぶべきなのです。

なので極端な話をすれば、良質なゲームをやるってのと、例えば太宰治の小説を読むってのは、鑑賞としては同価値であると思っています。いやかなり極端ですけどね。ですけどまぁ、方向としてはそういう話なのです。

 

ただね、ゲームは「自分で進行させる」という手間があり、完結までかかる時間も多く、下手をすれば数十時間かかるというモノもあります。もちろんボリュームとしては1作だけの映画や小説より優れているのですが、やはり手を着けづらくなってしまってんですよなぁ。くそ、もっと奔放に、作品に手をつけねばならん。頑張ろう。