ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

清く正しく美しく死むく

 

 

 

 

 

 

2020/5/31

 

清く正しく美しく死むく

 

本日、友人たるBemuda△というバンドが、解散をしました。

昨年メンバー脱退から活動休止はしていたし、本人から色々話も聞いていたので、まぁそんなに驚きはしませんでしたが、やはり残念ではあります。

数少ない、同い年のバンドが、また少なくなりました。とても寂しいです。

 

「同い年」って、特別な概念でね。

似たような日付に生まれ、似たような社会の中で、似たような流行に揉まれて、その中で音楽を見つけ、バンドを志して、こうして出会った訳です。それはもう、特別ですよ。

頻繁に会っていた訳ではないにせよ、精神的にはクラスメイトとか、職場の同僚に近いです。さらに趣味が似てるってんだからね、もうね。

 

Bemuda△は、コミックバンドでした。誰がなんと言おうと、コミックバンドです。曲に笑いの概念を混ぜて、演奏と共に楽しませるエンターテイナーでした。「オレオレ詐欺の歌」とか「サーファーに妻を寝取られた歌」とか、ふざけた曲を沢山作っておりました、っていうか、全曲ふざけてました。どう見てもコミックバンドです。

ただ、Bermuda△は、ボーカルのよたれ君は、文字通り「全曲」ふざけてました。真剣な曲なんか1曲もなかった。心に染みる歌詞なんて1行もなかった。誰がなんと言おうと、なかった。

これは本当に、凄いことです。

モノを作る時、誰もが「もっと良いモノを作ろう」と思っています。それは周りのモノ、流行りのモノ、自分の過去の作品も含め、それよりも「もっと良いモノを作ろう」と思っています。

その結果、色んなテーマに目をつけたり、今まで使ってない手法を取り込んだりするのです。みな、良いモノを作るために、あらゆる手を尽くします。

しかし、よたれ君はそれをしませんでした。もちろん曲のテーマは手を変え品を変え色々使ってましたが、どれもこれも一貫してコミックで、笑えるモノでした。

「普段おちゃらけているヤツが、真面目なコトを言うとグッとくる」

このクソ安易な手法に、一切手をつけませんでした。これが、凄い。

彼も長年バンドやっているので、この手法を思いついてないはずはないです。これを使えば、たぶんバンドの幅は大きく広がります。それもわかってるはずです。

しかし彼はしませんでした。変な話ですが、「真面目な曲をしない」という姿勢について、彼はとても真面目な男でした。変な話だな。

そういう想いを、そういう矜持を、私はとても尊敬しておりました。

 

バンドは生きものです。脈もなく、体温もないですが、確かに意思はあります。メンバー個々人の意思ではなく、バンドとしての意思です。

私にはその意思は測りかねますが、恐らくはその意思通りに、捻じ曲げられるような事なく、真っ直ぐに生きたのではないでしょうか。それはたぶん、バンドという生きものにとって、一番良いことだと思います。

道半ば倒れたのは無念ですが、とても清い生き様だったと、私はそう思ってます。

 

我々も、清くありたいと、思っています。

バンドも同じ思いであると、信じています。

我々は、続けます。我々は、進みます。