ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

自縛霊

 

 

 

 

2020/8/26

 

自縛霊

 

日々が漫然と過ぎていく。

月日の流れ、やはり年々早くなっているように思う。もう8月も終わろうとしている。今日は外に心地よい風が吹いていた。湿り気のある涼しさで、ほんの少しだけ秋を思い出した。

バンドとして動けずに半年くらいが経とうとしている。何回かライブもしたり、新曲も作っているが、今までのペースを考えると動いている内には入らないくらいの量である。バンドとしての前進が封じられ、それでも日々は過ぎていく。

あいも変わらず、家に籠もって曲ばかり作っている。あとは本を読むなり、映画を見るなり、ゲームをするなり、している。ほんの少しだけ飽きてきたが、まだまだ食指は動いているので、ライブができない事を除けば、あと半年くらいはこのままでも良い。あ嘘、ボードゲームも、したい。

籠もって過ごす日々は前にも増して加速感が凄い。1週間くらいなら鋭角に過ぎる。これはいかんと、きちんと毎週やる事を決めて、しっかりとやる事はやっているつもりである。それなりの怠惰には包まれているが、怠惰ばかりはコロナなんて関係なく、籠もってなくても包まれる。これは仕方ない。許してくれとは言わない。よければ誰か断罪をしてくれ。

日々は過ぎても、読んだ本、観た映画、プレイしたゲーム、あらゆる刺激とテキストは、少なからず私の中に蓄積されている。今はまだ沈んでいても、いつかの時は、貴重な資料となるはずだ。

そして当然、作ってきた曲達は、間違いなく人生に刻まれている。新しい曲達がくさびになって、何とか現実感はぶら下がっている。もし曲を作ってなかったかと思うと、ゾッとすふ。その期間、何をしていたのかが希薄になって、また発狂へと一歩近づいていくだろう。

だから結局、もう少し、認められたいのですよ、私は。

そのための曲であり、曲のための刺激であり、

刺激のための行動です。すべての行動は、自己顕示欲を軸に動いている。

私は認められたい、というか、認められねばならん。

そうでなければ、あらゆるものに顔向けができない。「自分が認めていれば、それで良い」なんて一瞬たりとも思った事はない。

漫然と過ぎる日々の、じりじりとした焦燥感、もっと刺激を、もっと曲を、作らねばならんです。

このままでは何もせぬまま死ぬし、このままでは死んでも死にきれぬ。生前評価されなかったロックバンドの霊には、なりたくないのですぜ。