ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

つれづれ

2020/5/4

 

 

 

 

 

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今朝は何か死ぬほど寝てしまい、起きてからは、散歩をしておりました。

ゴールデンウィークを持て余した家族連れが無限湧きする川べりを、つれづれと歩いておりました。穏やかな気温、随所に花と、しゃがんでみれば土と草の匂い。うむ、春である。

うろうろと不審者ムーブをかましていると、川向かいの方で高校生くらいと思われる女子数名が、吹奏楽をしていました。これはしたりと、その辺に座って、しばらく聴き入っておりました。やはり生の音楽は、良い。

聴きながら精神を放逐して、家族連れを眺めたり、空を眺めたり、川を眺めたりしていました。太陽が川に反射して、キラキラとしているのはとても綺麗である。まだ人口の光がないほど昔の人も、これを眺めて綺麗だと、思ったりしていたのだろうか。悠久に想いを馳せる。

続けて太陽を見る。眩しくて見てられない。私から見える太陽はただ光る円が青空に浮かんでいるだけだが、ここから途方もなく真っ直ぐに彼に向かうと、途方もなく巨大な燃え盛る星が存在しているという話である。視界の端に見えるでかい福岡タワーの、比べようがないほど大きな大地である地球の、それに比べようがないほど巨大な球体が、あの光る円なのである。

本当か、それ。途方がなさすぎて話にならん。

巨大な存在を感じると自分が小さく見えるが、そこらへんでウロウロする鳩から見れば自分は巨大な存在だと思うし、自分から見た自分はどう足掻いても等身大である。比べる意味はない。自分はどうやっても自分である。

ふと、音楽が止まった事に気がつく。向こう岸を見ると、片付けをしている。時は夕方、少し寒くなってきた。あくびをひとつして、帰るとする。

日々はつれづれ、この時が無駄だったのか有益だったのかは知らん。知らんが、物事を無駄か有益の二元論で判断して焦燥する人生は、嫌だなぁとは思う。私もときどきなるけど。

帰ってからは、何となくアコギを弾いて、歌を歌った。

やはりこれは、楽しい。