ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

コオロギ思案

 

 

 

 

 

2020/10/5

 

コオロギ思案

 

アーリービリーバーズにて、ライブでした。

楽しくやらせていただきました。

みなさま、ありがとうございましたぜ。

 

熊本、THE KITCHENのレコ発のツアーでした。この時期のツアーというのは色々意見があるかもしれませんが、現時点では正解も不正解もなく、関わる人、みんな約束を守り、信義を持って動いているので、私はいいと思います。

ギタボのケント君と、終演後色々話しました。

彼は破滅の匂いの漂うロックな人間であり、それを隠そうともせず、安易に見せびらかそうともしないナイスガイ。こういう事はマスク越しでも、きちんと伝わるものです。

共にコロナ禍の現状を憂い、「やるしかないよな」で締まる。この流れはだいたいどのバンドマンと話しても同じなのですが、彼と話した時は「やるしかないよな」の前に「ムカつく奴らを殺すために」が付き、その点で同意できたのが嬉しかった。

ディストーション、である。

 

帰宅後、コオロギの声を聞きながら、天井と見つめ合って考える。

今日のライブ、MCが今ひとつまとまらなかった。まとまったなら良いMCという訳ではないし、思っている事は言えたのだけれど、それで心が伝わったかどうかは、少し自信がない。

 

ライブをやる意味とはなんだろう、と、最近は考えたりする。

もちろん、ライブは楽しいし、心地よい、見にきてくれる人も喜ばせたいし、対価にお金を頂けるのならば、頂きたい。

しかし、もっと根底の部分。それらの要素が草や花だとすると、それらが根付く、土。その成分。そこら辺をもう少し、文字通り掘り下げて考えたい。これからはね。

別に、その土の存在に気がついていないなら、そのままでもいいと思うのだけれど、気がついてしまったからには、考えて、考え抜かねばならい。ステージの上で嘘は吐けない。なら自分にとって、何が嘘となるのか、それを考えていかなければ「真摯」とは言えない。

真摯さは、何より優先される。歌唱力とか演奏力とか、そんなモノは真摯さに比べれば話にもならない。適当にやってるプロの演奏を見るくらいなら、私は高校生のコピーバンドを見るね。

考えて、考えて、より深く、より真摯に、生きていきたい。いや、生きていかねばならぬ。

 

寒くなってきたので、窓を閉める。コオロギの声は遮断され、六畳間は静寂に変わる。布団を増やすかどうか考えたが、面倒なのでそのまま眠る。

もう10月が始まっていた。