ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

自生する夏

 

 

 

 

2021/7/21

 

自生する夏

 

夏を切り抜きに、島に渡りました。

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船に乗り、10分くらいの航路を経て、辿り着きましたのが、能古島です。「のこのしま」と呼びます。

 

小さな島です。いや小さいのかな。島の大きさの基準がわからん。そんなに大きくはないと思います、くらいで。

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目的は「夏」です。連日灼けつく太陽の下、似合わない帽子をかぶり、ただ島を徘徊しておりました。能古島は何処へ行っても空が広い。広すぎて私の手に負えない。

住宅地を巡り、喫茶店でとろけ、名物「のこバーガー」を貪り、山道を征き、海岸を冷やかし、公園で惚けておりました。山道は案外長く、休憩地点はおろか自販機すらなく大変でしたが、一面緑で埋まる視界は面白く、とても良いものでした。

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この場所ではまだ、夏が原生している。

超ざっくり言うなら、白か黒か、超極端な二元論を展開すれば、世の中のすべてのものって人工か自然かしかないのですよ。人の手の加わったものかそうでないか。普段目にするものって下手したら9割くらいは人工なのですが、山道に至っては逆、貼り付けられたコンクリートと、たまに立つ電柱、それ以外のほとんどは自然でした。どうしようもなく圧倒的な、暴力的な自然。電柱に巻き付いて凌駕する朝顔を見た時、もうなんか「自然を守ろう」みたいな標語が馬鹿馬鹿しく思えてきましたね。普段、人間が自然を崩しているのは、自然から身を守るためだというのに。

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自然に対して感じるべきは、庇護や尊重ではなく、敬意と畏怖なのですよ。そして我々が自然にすべき事は、守るではなく命乞いであります。我々は自然という膨大なシステムの中でかろうじて生きているに過ぎない。

静寂と蝉の声、自身の足音と息遣い、聞こえるのは本当にそれだけ、山道を登りながら、そう考えておりました。夏はなんか、こういう事をよく考えてしまいます。何故でしょうかね。

夏をたくさん、浴びました。ちょっとした撮影も行いました。灼けてしまった腕をさすりながら、日常へと帰還しませう。

 

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猫も、いました。可愛すぎ。