ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

妖怪ト逢フ

 

 

 

2021/9/2

 

妖怪ト逢フ

 

バンドの練習を終えた後、遅すぎる夕食を食べたら異様なまでに眠くなり、倒れるように眠ってしまいました。

4時頃に目が覚め、脳も快復していました。もう一度眠るのも癪だったので、読みかけの本を読む事にしました。

京極夏彦姑獲鳥の夏」です。うぶめのなつ、と読みます。

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まだ夏の残る蒸した部屋で、外が雨の中ページをめくるという、実に贅沢な時間でした。

六百ページを越える長編なのですが、昨年読んだ同じく京極夏彦の「魍魎の匣」は文庫にして千ページを越えるそれこそ箱のような本だったので、比べると六百ページすら短く感じてしまうのだから不思議。読んでみると面白く、六百でも千でも案外しれっと読めてしまうからまた面白い。

 

今日まで少しずつ読み進めて、先程残していた

二百ページほどを読み終えました。まだ脳が躍っております。実に面白かった。いわゆる「探偵」が出てくる本格ものですが、オカルトを論理で無限にズームアップするようなミステリーで、論理的か感情的かはたまた幻想的なのか、奇妙な読後感に苛まれています。

本格もの、いわゆる密室殺人とか、何らかの「トリック」を探偵が解き明かすというモノを指すのですが、普段はあまり好んで読まないのですよ。謎も探偵も、何だかカタルシスのために用意された舞台装置みたいに見える時があって、白けてしまうのです。しかし、やはり面白いのは面白い。まぁ陰陽師探偵とか霊能探偵が出てくるこの本が本格なのかどうかは甚だ疑問ではありますが、「本格だよ!」と誰かに勧められたら読まなかったかもしれません。危なかった。

前述の通り、京極夏彦は昨年読み始めたのですが、存在はもっと早く知っていました。今では何故もっと早く読まなかったのかと後悔する思いです。と同時に、まだ読んでない好きなシリーズの本が沢山残っている事が嬉しくもあります。

こういうのもまた、巡り合わせです。まだ読んでいない、出会ってもいない「好きな本」とかが沢山あるのでしょう。そう思うと楽しみなような、焦るような、後悔するような思いになります。

出会うためには、読まねばならん。読んでいこう。読書、面倒な時もあるけれど、やはりこれは私の人生には不可欠であります。