ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

肺を通る寂寞

2022/12/27

寂寞の呼吸

天気が良く、仕事もなかったので、久しぶりに何の目的も持たずに徘徊をしていました。両ポケットをコートにぶち込んで、足と気の向くままフラフラしていました。定期野良猫ポイントをいくつか経由しながら、今後の人生であったり、人類の持つ業であったりを考えていましたが。

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扉がフルオープンの立ち飲み屋を行ったり来たりする地域猫さん。どれだけ往来しても中の人は無反応、めっちゃいい空気。昭和か。

もう少し歩くと、近所のスーパーが閉店しているのが見えました。あまりお世話にはなっていませんが、私の幼少時からあるスーパーで、かなり長いものでした。閉店も先月だったので、もう中身はコンクリートと解体機材のみ。掲げられたベーカリーのしるしが哀愁を誘います。

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この店に大した思い入れはありません。それどころか、どちらかと言えばあまり良くない印象がありました。しかしそんなお店も、誰かにとっては大切な、思い出の詰まった店だったに違いありません。この閉店が大団円だったわけは、多分ないでしょう。いずれ消える看板を眺めながら、少しだけ黙祷をしていました。

見渡してみれば、この辺りも随分変わりました。昔からあった道、幼稚園に通うために母と歩いていた道。周りの店も、建物も道も、なんなら私の視点の高さも、随分と変わりました。言って私も昔の景色なんかあまり覚えてませんが、変わったという事はわかります。

悲しい理由での変化はあるでしょうが、嬉しい理由での変化もあるはずです。なのに私は、その変化そのものを見て、寂しさを感じてしまいます。なんでですかね、歳のせいでしょうか。

コンビニで買ったコーヒーを飲みながら、日暮れの帰路を歩いていました。大通りを行き交う車は、私と一度すれ違っただけで、また交わる事はないでしょう。そんなふうに、いろんなものは過ぎ去っていきます。あらゆる感情を無視して進み、こちらはその軌跡を辿るのでやっとです。外の風は冷たく、呼吸をすれば肺が冷えます。そのたびに漏れる寂しさを噛み締めながら、今年もまた年を越そうとしています。