ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

8月17日 運命じゃない夏

朝は10時に起床。

最近、毎日の事だが、7時間くらい寝ているのに、朝が辛い。眠りの質が悪いのだろう。毎日寝る前に数時間、動画編集をするのは、多分「快眠」において最悪の部類だろうと思う。

 

仕方なく、起きる。ガムテープを剥がすように、ベリベリと意識をベッドから引き剥がす。水を飲んでバナナを食べる。まだ何も、やる気にはならん。携帯を世界に繋いで、適当に意識を覚ます。

 

少しして、動画を作り始める。最近作っている新しいMVである。大体の形はできたので、微調整。見れる形にはなったので、とりあえずナカシーの意見を伺う。英字の羅列を送って、あとは返事を待つ。

さて、シャワーを浴び、昼食たるパスタを食べたら、出かける。自転車を駆り、真夏、という概念の中をくぐり抜ける。

 

そう、何を隠そう私は、ボードゲームがしたいのだ。天神のとあるボードゲームカフェにて、何だかイベントがやっているらしい。そのカフェには前から興味があったので、これを機に行ってみる。

漕ぐ事30分、流石に炎天下、これは中々に辛い道となった。駐輪場に自転車を停め、グーグルマップで場所を辿りながら、2回ほど間違えながら、やっと店に辿り着く。

 

ボードゲームは慣れてるとはいえ、初めての場所は、やはり緊張する。しかしボードゲーム会をやって「来てよ!」なんて言ってる人間なので、私が怯む訳にはいかない。意を決して、入る。イベントに来ました、と言う、すみませんお一人様無理なんです、と言われる。そうですか、と言って帰る。

 

マジか、告知ページには「おひとり様でも!」と書いてあったはずだが。しかし、そこで店員に食い下がるのは、それなりに醜態である。「やっちまったぜ」みたいな笑顔で、軽やかに去る。いや、これはこれで、醜態かもしれんが。

 

コンビニで買ったソルティライチを、公園に座って飲む。目的を、完全に失った。どうする。楽器屋に行くか、ボードゲーム屋に行くか、彷徨っていると、ふと、映画館の前を通る。思い立って調べてみると、興味があった映画が、あと20分ほどで始まろうとしていた。これはもう、そういう流れである。自動ドアをくぐる。

 

チケットを買い、650円のポップコーンとジュースを横目に、手ぶらで入場する。チケット代で1900円したのだ、そんなには、払えぬ。

まぁ、考えてみれば、普段はライブでぽんぽん払っているのだけれども。1900円とか、ライブなら、安いほうだぜ。完全に、麻痺している。

 

土曜もあって、人は多い。周りは殆どカップルの中、前の方の席に独り座る。少ししたら、照明が落ち、予告編が群れをなして襲ってくる。予告編、結構好きなんだよなぁ。野崎まど原作の映画に、少し心惹かれる。今度三谷幸喜もあるな、観たい。

 

少しして、暗転、静寂、そして「天気の子」を、観た。

 

エンドロールが終わり、場内が明るくなる。緊張が、ふわりと空気に溶けていく。この瞬間は映画館ならではであり、とても良い。

「天気の子」、吐きそうなほど感動しました。えぇもう、素晴らしいですとも。実に綺麗で、実にディストーションであった。須賀さん、好き。

そして、考察すべき点もありながら、きちんとエンターテイメントになっている。これが素晴らしい。

 

エンターテイメントとは「想像を超えるもの」である。歳をとるにつれて、もうだいたいの事象は、想像の圏内に収まってしまう。それを超える瞬間、脳が覚醒し、血は滾り、心は、躍る。私はいつだって、その瞬間を求めているのだ。

そして、心はそうやって定期的に躍らせないと、動かない心中は、いろんなものが腐っていく。今日のこれは、いいデトックスになった。予定が崩れるのも、悪くはない。

満足して、館を出る。そのまま喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら、氾濫する思考をまとめる。

 

店を出て、自転車を解放する。ペダルを漕いで、少し離れたボードゲーム屋に行く。何だかんだ、尾は引いている。中古品を物色するも、今ひとつ。色々眺めて、店を出る。

 

さて、帰ろう。もう夕方、街はまだ、ほのかに暑い。またペダルを、漕ぐ。

漕ぎながら、映画の事を考えるうちに、何故だか、ゆるく憂鬱が漂ってくる。そう、あの映像も、物語も、綺麗すぎたのである。ドラマチックが、ディストーションが、過ぎたのである。

そしてそれらはもう、多分、私からは、過ぎ去ってしまったのである。

感傷にアテられて、またペダルを漕ぐ、私の好きな作家は「サマーコンプレックス」という言葉を作り出した。私もその、亡霊の1人である。

 

帰宅中、飯をどうするか考えていると、何だか、遠くから太鼓の音が聞こえる。まさか、と思って進んでいると、どうやら近くの小学校で、祭りをやっているようである。

祭り、まつり、祭り!私は何を隠そう、祭りが好きである。祭りの空気感は、とても叙情的で、素晴らしい。

有無を言わず入る。自転車を停め、校庭へ。夜に広がる露店、提灯の赤い光、多くの人!太鼓と笛の音色と、ステージを、眺める。

f:id:iijitakahiro:20190817235626j:image

かき氷、たこ焼き、焼き鳥など、心が躍るものは全て買う。小学校というのもポイントが高い。モノも安いし、なにより人情がある。半分埋められたタイヤに座って、眺めながらカレーを食べると、先程までの憂鬱も、少なからず夜空に溶ける。

 

しかしもう、人、人、人。やはり子供が多い。ボールではしゃぐ男の子。浴衣と下駄の、女の子ふたり。制服の女学生。石段で水を飲む母親。露店で声を上げるおじいさん。奇声をあげる幼児、さっきまで高らかに笛を吹いていた、赤い法被の子。

これらの人すべてに、これまでの物語があり、これらの人すべてに、これからの物語がある。

異常な情報量に、少しふらつく。それでも、その物語の源泉は、その予感は、とても美しくて、とても儚くて、とても、良い。

ステージでは、番号札の抽選を、ずっとやっている。興味はないが、聴きながら、ウロウロと、色んな場所を眺めて回る。

閉会の宣言がされ、流石に帰る。自転車を起動させ、また、漕ぎ始める。

 

たまたま、いつもと違う道で帰っていたら、こんな事になるとは、何だ、結構、ドラマチックじゃあないか。何だかおかしくなって、少し笑う。

ここで、例えば祭りに初恋の人がいたりしたら、或いは運命の人がいたとしたら。

そういうのを想像しているのが、新海誠なのだと思う。彼もサマーコンプレックスは、持っているだろう。

 

そうはならなかったので、自転車を漕いで、帰宅。シャワーを浴び、一息をついたら、ブログを書き始める。

 

作業はロクにできなかったが、後悔はない。それなりの充足感と、もう眠る事に、する。

あぁ、作業。できなかったなぁ。もぅ、困るぜ。はは。