水曜どうでしょう、を見ている。
とても面白い。
兄が好きなので、昔からよく話は聞いていたが、その頃私はどうにも好きになれなかった。
やってる事に、彼らの笑いに、内輪ノリが過ぎると、笑いがルーズすぎると、そう思っていた。
ただ、内輪ノリというのは、内輪になってしまえば、物凄く面白いモノなのである。
ある日ふと見た何らかの企画で、「あれ?面白いんじゃないか」と思ってしまい、そこからはズブズブと、ハマっていった次第である。
昔言った気もするけど、何が凄いって、大泉洋は本気で何も知らないし、本気で企画を嫌がっているところである。
(もちろん、ヤラセの可能性もなくはないが、ヤラセでアレならむしろ凄い)
それによって、言ってしまえば大泉洋は、テレビを見ている「こちら側」の立場に近くなる。実際に視聴者は、何となく大泉洋を「面白い(私の)友人」と思っている人が多いのではないだろうか。
そんな大泉に感情移入しているうちに、ぬるりと視聴者も、内側に入っていってしまう。そうこうしているうちに、「鑑賞」は「参加」に代わる。企画を見ているのではなく、企画に参加しているような感覚になる。
あとはもう、何でもアリの、内輪ノリである。
現代の立場で言えば、ユーチューバーが近いのであろう。彼らもいわゆる、内輪ノリに引き込むタイプのエンタメである。
しかし私はユーチューバーが嫌いである。どうでしょうのような企画を打っている奴らも居るが、企画も出演も大体同じ奴らなので、「全部知っている大泉洋」のような薄寒さを感じてしまう。
「企画を全部考えて、全部自分でやって、嫌がっている大泉洋」など、想像しただけで面白くない。
ほとんど食わず嫌いなので、批判しすぎるのもあまり良くはないが。
水曜どうでしょうの彼らは、番組の中で、みな自然体であり、みな必死である。
だから面白いし、その面白さには一種、美徳のようなものを孕んでいる。そういう姿勢を、とても格好良いと、私は思う。
それもまた、ロックなのだと、思う。
まだ観てない話がたくさんある、楽しみ。