ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

夏のサイレン

 

 

 

 

2020/9/9

 

夏のサイレン

 

果たせなかった思い、叶わなかった願い、通らなかった未来、そういう事を想うと、胸が締め付けられます。廃墟や廃村、そこに散る本や玩具、朽ち果てた看板。何かの痕跡。

そういう想いを、溢れんばかりに1枚のディスクに注ぎ込まれたのが、「サイレン」というゲームでした。18年前、2003年のゲームです。

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発売当時、中学時分くらいから興味を持っていて、何度かやる機会はあったものの流れに流れ、ついに31歳に。しかも1年前くらいから買っていたんですが、「ホラーやるなら夏だろ」という思いから、夏まで待っていました。7月くらいからちょくちょく、部屋の電気を消してから興じており、そして本日、完了いたしました。

所謂ゾンビものなんですが、描いているのは生きた人間の、何か、誰かを想う気持ちでした。まぁホラーだから、その想いは大抵は果たせずに終わるのですが、それでも何かを想う気持ちというモノは、それ自体が、凄まじいものです。

「どうあがいても絶望」なんてキャッチコピー通りの世界で「人間でいるため」抗い、もがく人々。そんな彼等にのめりこみ、深い感銘を受け、終わったと思ったら夏も終わっておりました。

開いた窓からは涼しい風が吹き、コオロギが鳴いています。普段ならやれライブやレコーディングや、忙しいままに過ぎていく夏ですが、今年はゆっくりと、不思議な夏でした。もうこれで、たぶん終わりでしょう。

私は腹が減ったので、これからラーメンを食べに行くとします。

 

現実の、現代、この瞬間にも、何かの思いが踏みにじられたり、無残にも散ったりしているのでしょうか。

踏みにじられた後、散った後で、それでも彼らが、何かを想えますように。