ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

ホームセンターの可能性

 

 

 

 

2021/7/4

 

ホームセンターの可能性

 

何か異様に眠ってしまった日曜日。最近は、体調はともかく調子は微妙な日が続いている。何もしてない訳ではないけど、焦りに焦る。どうしたものかね。

雨とか言っといて雨降らなかったので、外出。来る7/10のノンフィクション企画、その時に置く物販を増やすために、材料を買いに行く。外は曇天、序章のような暑さと、生まれ始めた蝉の声。息苦しいマスクに苛立ちながら、川沿いの道を自転車でなぞる。

ホームセンターに着く。音楽を聴きながら店内を徘徊すると、あちらこちらに興味を惹かれてしまう。ハイグレードな家電や持っていない調理器具、快適を約束している寝具やいかにも丁度よさそうな棚。どうせ買わない見慣れぬお菓子や、どう考えても使わない工具も眺めてしまう。ホームセンターは伏魔殿である。

棚々に並んでいるのは、いくつもの可能性である。新しい炊飯器があればご飯が美味しくなるのではないか。ミキサーを買えばスムージーが作れるぞ。格好良い掃除機を買えば掃除も楽しくなるに違いない。あの寝具が私の悩みを解決してくれそう。陳列棚を眺める客一人一人の想い。ホームセンターの広い天井でも収まらないほど、空間には想像が満ち満ちている。

そうして想像ができる事は、とても幸せな事だと思う。少なくとも、現状が差し迫っているような人は、そういう余地はないだろう。ある意味ではとても平和な空間だと思う。

 

可能性は難しい。叶えた所で、叶えなかった場合の可能性が同時に生まれてしまう。「もし炊飯器を買ったら」という想いを叶えるべく、新しい炊飯器を買ったら、今度は「もし炊飯器を買わなかったら」という空想が生まれてしまう。幸か不幸かは置いておいて、すべての望みを叶えるのは中々に難しい。新しい炊飯器で炊けた飯が大して変わらなかった場合、「これを買わずにミキサーを買っておけば」なんて思い始めてしまうのが人間である。

かといって、可能性を追うのをやめる事はない。そりゃそうだ。みんな幸せになりたい。正確には、みんな「今よりもっと」幸せになりたいのだ。悦楽、快感、興奮、安全、快適、人生は求めてばかりです。それを愚かと思うときはあるけど、私だって大体の場合はそう。人間、どころか大体の生物は、そういうシステムで生きている。

買い物を終えて店を出ると、クーラーで冷えた身体が緩やかな熱気に襲われる。町外れのホームセンターなので周りに高い建物がなく、暮かけの空は横に広く広がっていた。なんとなく、私は夏を、夏を感じた。

興が乗ったので、見た事のない知らん街を自転車で練り回る。小さな水路に、ガードレールもない水田と畑、低く空を裂く電線。誰もいない小さな神社。むわりとした草の匂いと、鈴のような虫の声がくすぐる五感。この町で暮らしていくのはどんな日々だろうか。もし、この町で生まれていたら、どういう日々があっただろうか。そんな可能性を考えながらペダルを漕ぐと、ホームセンターで買った袋がカゴの中でガタンと揺れた。

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