ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

流行りの残像

 

 

 

 

2021/8/11

 

流行りの残像

 

場末のラーメン屋、外は雨なので少し薄暗い店内、空間を支配するのは客の咀嚼音と厨房の調理音、そして有線放送で流れる「わからないけどヨルシカかYOASOBIかずっと真夜中でいいのに、のどれか」みたいな曲である。じっと聞いていたけど、結局はわからなかった。流行はいつも私の先を行く。

流行に乗らないのは悪い事ではないけれど、流行に乗らない事を誇らしげに語るのは悪い事ですので、諸君らは気をつけるように。どちらかといえば、乗らない、乗れないのは恥の部類です。

もうずっと流行とは疎遠で生きているのですが、しかしながら流行が嫌いなわけではなく、どちらかというと嫌いなものが流行になる具合が多いです。なので好きなものは流行っていても好きですよ、普通に鬼滅読んでましたし。

ただ、やはりどのジャンルにしろ「第一位」に輝くものは、私のものにはならない。正確には「私のもの」だと思えない。何故だかはわからない、ひょっとしたら私が弟だからかもしれない。昔からそれは兄のものだった。なんなら第二位くらいまで私は貰えなかったので、三位以下の実力派を精査するのが癖になってしまったようにも思える(誤解のないように言っておくが、私の兄が特に暴君だったという事ではなく、兄弟とはそういう生態を持っている生き物である)。

流行のものが、少し世間から忘れられた辺りで、ようやく私にも触れる権利が巡ってくる。そういえば数年前はよく流れていたな、なんて曲を聞いてみる。気にいる事もあれば、やはり気に入らない事もある。かつてここに集まって笑っていた人たちの事を考えると、今ひとりで聞いている私は、まったく寂しくないといえば嘘になる。そうやって流行の残滓を辿り、移り変わる世間の残像を見ながら三十数年、まったく寂しくないと言えば、やはり嘘になる。

かといって、やはり積極的に流行に乗る気にはならない。今流れている曲を調べようとも思わずラーメンを啜っている。もうメロディも思い出せない。別に悪い曲じゃなかったが、やはり「私のもの」ではなかった。有線からは相変わらず最近の音楽が流れているが、ラーメンの替え玉ができないことと、外に降る雨の方が感心が強い。これはもう、意識して変えるのは不可能である、私はこういう人間なのだ。

帰ってギターを抱えて「私のもの」でも作るとする。せめて「替え玉」が流行になりますように、と馬鹿みたいな祈りを捧げながら、ラーメン屋の扉のベルをチリンと鳴らす。