ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

ノートの音

 

 

 

 

2022/10/18

ノートの音

ファミレスにて歌詞を書き始めた途端、隣に座った大学生共が「今日はすべてを話そうと思う」と話を切り出して、歌詞どころじゃなく聞いていたら、話しているのは単なる別れ話の転末であって意気消沈。まぁそりゃそうよ、外から見て面白い大学生なんて、この世には滅多に存在しません。内に入るとあんなに面白い生物はいないのですがね。

コーヒーのおかわりを注ぎに行き、再び歌詞に没頭しました。

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最近は、というか今日から、歌詞は携帯ではなくノートに書き始めました。昔はノートだったのですが、三年くらい前、十周年の企画を年通しでやり始めたくらいから、腰を下ろして歌詞を書ける暇がなくなったので、もっぱら携帯を使って移動中のバスや寝床の上で書いていました。携帯は便利ですね。肌身離れませんし、何かを調べるのも一瞬です。予測変換で思いもよらぬ言葉を見つける事もあり、面白い。ここ数年はずっとこれでやってましたね。

しかし最近気がつきました、携帯で歌詞を書いていると、歌詞の全貌が見えづらくなるのです。

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見てわかる通り、パッと見で歌詞を最初から最後まで見渡すことができません。入力のキーボードが出ていればもっと狭くなります。

瞬間の歌詞だけでなく、全体を見ながらバランスを調整する事も、結構、大事だったりします。全体をざっと見て、前半の展開を見ながら後半を整えたり、漢字やカタカナ語のバランスを取ったりできます。歌詞ってのはあくまで歌声の中にあるものなので、歌詞の一覧自体が評価されるべきではないのですが、それでもやはり歌詞を「見て」調整できるってのは便利です。

あとは、やはり、「それっぽい」ですね。携帯をトントンしてるよりかは「創作してる」感は出てきます。別に格好つけたいわけじゃないですが、書きながら格好いいなぁとは思ってます。こういうの、めちゃくちゃ大事ですからね。

少しでも、良い歌詞を書きたいもんです。良い歌詞、ってのは死ぬほど抽象的なのですが、やはり良い歌詞は良い歌詞です。音楽と溶け合い、人の情感を揺らし、記憶を想起させ、かつ私にしか書けないもの。そういうモノを、もっともっと、突き詰めていかねばならんです。