ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

人類のケイタイ

2024/1/10

昼過ぎ頃、雨と雨の合間を縫って商店街へ。ラーメンがてら、携帯の修理をお願いしていました。ケーブルの刺さりも悪く、そもそも一日三食ペースの充電が必要という体たらく。寝てる間に充電が外れ、目覚まし鳴らずに阿鼻叫喚、という日もありました。そろそろ一度、きちんと休ませねばなりません。

調べてみたら商店街に点在していたので、適当な店に預けてラーメン屋へ。ラーメンの写真を撮ろうとして気がつきました。携帯が、ないじゃないか。写真が撮れない。びっくりしましたね。携帯がないと写真が撮れない。そんな当たり前のことすら気がつけませんでしたぜ。デジタルの毒を思いながら、スープに胡麻を擦っていました。

修理には時間がかかるので、食べ終わった後は喫茶店へ。昔ながらの純喫茶で、木彫がとても良い雰囲気のお店でしたが、やはり写真は撮れません。なんかもう、写真や動画、インターネットなんかを人間の機能だと思っているフシがあります。コーヒーと共にお洒落なワッフルも注文したのに、皆様にお見せすることはできません。当然私も見返せません。ただ私と店員さんの網膜の残像を追うばかりであります。

携帯もないので、ボーっと考え事をしたり、店を眺めていたり、テレビが垂れ流す八代亜紀の追悼を聞き齧ったりしていました。普段はまぁ訪れないような、心地よい虚無の時間です。そうなるとなんとなく感覚も整う気がして、木彫の店内はもちろん、コーヒーから漂う湯気まで美しく見えます。カップの手触り、椅子の座り心地、カウンターを照らす光とその陰、コーヒーを一口啜って、ふぅと一息。手元に携帯がないだけで、時間と空間の密度がギュッと上がる気がします。これは、とても、良い。

やはり今までは、携帯を通じて気が漏れていたんでしょうな。これは健康だけでなく、創作にも良いモノになるでしょう。常には無理でも、これからも定期的にやっていきたいものです。

と、そうは思うのですが、まぁ間違いなく無理でしょうな。携帯があれば触るのが人間です。紙があれば眺め、本があれば読み、穴があるなら覗き込みます。ましてや携帯なんてそのすべてに通じているので、その魅力は強烈であります。持っていないならともかく、持っているのに触らないのは難しいもんです。心配いりません。人類はそうやって堕落してきたのですから、むしろこれは種の習性、本能とも言えるでしょう。

ただ、できた方が格好良いので、定期的にチャレンジしていきます。「俺スマホあんまり見ないんだよね」って言えたら良いですね、渋いですね。そうは思いながらも、帰ってきたスマートフォンの、充電の溜まりが遅いというだけで少し感動してしまう私は、やはり人類のその一端を担ってしまっているのです。