ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

1月18日気が狂いそう(なーなーなーなーなーなーなー)

ブルーハーツってすごいよなぁ。

純真と狂気とユーモアが、すごいバランス。

あれは芸術的。

 

音源の音が苦手なので、そんなに聞きませんが。あれはすごいと思います。

 

朝は8時に起床。

昨晩、寝たのが3時だったので、実質睡眠は5時間ほど。

頑張って起きてみるもしかし、作業するにはあまりにも向かない体調である。

それでも何とか動こうとするが、結局、細切れの睡眠と怠惰が作業にトッピングされ、台無しになる。

夜は寝るものです。知ってた。

 

ただ、そうも言ってられないほど、作業は切迫している。

ここ3日ぐらいずっと動画を作成しているが、まだ終わらない。

何がやばいって、 Twitterやブログですら「動画を作っています」としか言えないのはやばい。

これ、全く面白くないと、自分でも思いますもん。

 

でもこの、今作ってるドキュメンタリーの動画だけは、誰かに任せるわけにはいかんのである。

私が作るしかないのである。

私が作ることに意味がある、

そういうものにしたいです。

 

「遅れてしまったことも含めてのノンフィクション」と言ってしまうと、言い訳に聞こえてしまうかも知れませんが、ご明察、言い訳です。

 

 

ちゃんとしなければならない。

少なくとも、自分が「ダメだ」と思っている事は、改めるべきだろう。

もしくは、改めずとも大丈夫なシステムを作るべきなのだが、積める金も時間もなく、人力でやるしかない。

困ったもんだぜ。

 29年間、ずっと困ってる。

 

とにかく、朝はバナナとお湯、少し置いて味噌汁と納豆を食す。

健康的な朝食、のはず。

ただ、バナナと和食は、ビビるほど合わない。気をつけろ。

 

動画を切り刻む。

作っているうちに方針が変わり、前半と後半の内容が乖離する。それはすなわち、どちらかを合わせなければならない。それはすなわち、作業が増えるのである。

それはすなわち、きついのである。

「すなわち」って定期的に言いたくなりますよね。

 

昼、ラーメンでもいいと思ったが、コーヒーを切らしていたのでスーパーに行く。

 

外は快晴。

突き抜けるような青空、引き締まる気温。

おう、冬だぜ。

 

こんな日に何時間も液晶画面とキャッキャウフフしているなんて、狂気の沙汰である。

しかし私は、狂気に身を落としてでも、やらねばならんことがあるのである。

 

スーパーの袋を片手に、黎明な住宅街を歩く。

いつのまにか馴染んだ冬と、買って来たパンを食べる。

 

 

帰宅して、また作業。

私は追い詰められると、めちゃくちゃに、はかどる。この実力はなぜもっと早く出さないのか。

「やればできる」ということは「やらなければできない」という事でもある。

 

途中から、新しい仕事法を取り入れてみる。

名前は忘れたが、25分仕事をして、5分休む、と言うのを繰り返すものらしい。

やってみると、いい感じになる。

 

しかし、得てして新しい健康法や仕事法と言うものは、初めのうちは効果があるも、 3日も続けるうちに、結局めんどくなって止めるのである。

今回もそんな気がする。

三日坊主って言葉はいつからあるのか、凄い。

 

夕方、実家にて飯を食う。

しかしなんか、この3日位本当にやってることが同じで、生きている感じがまるでしない。

日常は素晴らしいが、流動させねば、どんなものも腐る。

 

やはり、ライブせねばならんか。

 

いつもより少し早めに事務所に戻る。

とりあえず、歌とギターの練習をする。

レコーディングは近いぞ。

だから本来、動画を作っている場合では無いのだが。猛省。

 

再び動画に着手。

まだ80%といったところか。

締め切りを何日延長するつもりだ。

「最初だから勝手がわからないから、多めに見て欲しい」って、お前はそれを誰に言うつもりだ?

 

自己嫌悪したってしょうがない。

課したもの、課されたものをやるだけよ。

 

何であれ私は、前進をしているのだ。

いくら周りに置いていかれようが、どれだけ遅かろうが、私は確かに、前進をしているのだ。

 

 

待ってくれる必要はない。

私が行く。