ブルーハーツってすごいよなぁ。
純真と狂気とユーモアが、すごいバランス。
あれは芸術的。
音源の音が苦手なので、そんなに聞きませんが。あれはすごいと思います。
朝は8時に起床。
昨晩、寝たのが3時だったので、実質睡眠は5時間ほど。
頑張って起きてみるもしかし、作業するにはあまりにも向かない体調である。
それでも何とか動こうとするが、結局、細切れの睡眠と怠惰が作業にトッピングされ、台無しになる。
夜は寝るものです。知ってた。
ただ、そうも言ってられないほど、作業は切迫している。
ここ3日ぐらいずっと動画を作成しているが、まだ終わらない。
何がやばいって、 Twitterやブログですら「動画を作っています」としか言えないのはやばい。
これ、全く面白くないと、自分でも思いますもん。
でもこの、今作ってるドキュメンタリーの動画だけは、誰かに任せるわけにはいかんのである。
私が作るしかないのである。
私が作ることに意味がある、
そういうものにしたいです。
「遅れてしまったことも含めてのノンフィクション」と言ってしまうと、言い訳に聞こえてしまうかも知れませんが、ご明察、言い訳です。
ちゃんとしなければならない。
少なくとも、自分が「ダメだ」と思っている事は、改めるべきだろう。
もしくは、改めずとも大丈夫なシステムを作るべきなのだが、積める金も時間もなく、人力でやるしかない。
困ったもんだぜ。
29年間、ずっと困ってる。
とにかく、朝はバナナとお湯、少し置いて味噌汁と納豆を食す。
健康的な朝食、のはず。
ただ、バナナと和食は、ビビるほど合わない。気をつけろ。
動画を切り刻む。
作っているうちに方針が変わり、前半と後半の内容が乖離する。それはすなわち、どちらかを合わせなければならない。それはすなわち、作業が増えるのである。
それはすなわち、きついのである。
「すなわち」って定期的に言いたくなりますよね。
昼、ラーメンでもいいと思ったが、コーヒーを切らしていたのでスーパーに行く。
外は快晴。
突き抜けるような青空、引き締まる気温。
おう、冬だぜ。
こんな日に何時間も液晶画面とキャッキャウフフしているなんて、狂気の沙汰である。
しかし私は、狂気に身を落としてでも、やらねばならんことがあるのである。
スーパーの袋を片手に、黎明な住宅街を歩く。
いつのまにか馴染んだ冬と、買って来たパンを食べる。
帰宅して、また作業。
私は追い詰められると、めちゃくちゃに、はかどる。この実力はなぜもっと早く出さないのか。
「やればできる」ということは「やらなければできない」という事でもある。
途中から、新しい仕事法を取り入れてみる。
名前は忘れたが、25分仕事をして、5分休む、と言うのを繰り返すものらしい。
やってみると、いい感じになる。
しかし、得てして新しい健康法や仕事法と言うものは、初めのうちは効果があるも、 3日も続けるうちに、結局めんどくなって止めるのである。
今回もそんな気がする。
三日坊主って言葉はいつからあるのか、凄い。
夕方、実家にて飯を食う。
しかしなんか、この3日位本当にやってることが同じで、生きている感じがまるでしない。
日常は素晴らしいが、流動させねば、どんなものも腐る。
やはり、ライブせねばならんか。
いつもより少し早めに事務所に戻る。
とりあえず、歌とギターの練習をする。
レコーディングは近いぞ。
だから本来、動画を作っている場合では無いのだが。猛省。
再び動画に着手。
まだ80%といったところか。
締め切りを何日延長するつもりだ。
「最初だから勝手がわからないから、多めに見て欲しい」って、お前はそれを誰に言うつもりだ?
自己嫌悪したってしょうがない。
課したもの、課されたものをやるだけよ。
何であれ私は、前進をしているのだ。
いくら周りに置いていかれようが、どれだけ遅かろうが、私は確かに、前進をしているのだ。
待ってくれる必要はない。
私が行く。