ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

2月25日停滞ではなく、待機。

朝8時に、目覚める。

 


昨日は精神的に衰弱しており、寝つきが悪く、いくつか奇行にも走ったが、それでも早めの床入りにより、なんとか7時間ほど、眠れたとは思う。

 


少しは、回復は、したと思う。

 


とりあえず目を覚ます、お湯とバナナと、先日買っておいて食べなかったパンを食べ、溜まっていた動画等を消費し、コーヒーまで入れてしまう。

だいぶ「ふつう」に持ち直した。考えてみれば、昨日は、ふつうでは、なかった。

 


しかしここで無理はよくない。

とりあえず、寝床と抱き合いながら、毎月新曲を発表する企画「ヒズミ回奏」のための、歌詞をねる。

バンドの曲とはまた、作り方も発想の根源も違うので、面白い。

 


やはり、0を1にする作業は、とても面白いし、私は一番好きである。

1を100にするのは、まぁまぁ好き。

「ここに100あるよ!ほら!ほら!」って声を上げるのは、ちょっと苦手。それを売るのは、さらに。

 


適材適所だよなぁ。もっと早く、適材適所を考えればよかった。

 


鉄は熱いうちに打てと言うが、組織なんかも同じで、一度決めてしまったモノは中々動かせない。決めたものを動かそうとすると、結構なエネルギーが必要になり、さらに動かしたモノが綺麗にハマる確証もないのだ。

組織は、動いている以上、エネルギーは無駄にはできるものではない。

 


こういうことを、中学校くらいから、教えて欲しかったね。ほんと。

 


閑話休題

歌詞が9割できたので、残りの1割を考えながら、飯を食らう。

パスタに重曹入れて煮たらラーメンになるんだぜ。君たち知っていたかい?すする。

 


残りの1割の歌詞をはめ、完成とする。

もっと練れば変わるかもしれないが、時間がないし、変わる保証もない。これでいく。

 


別にこれを手抜きとは思わない。練ったモノには価値はあるが、即興に近いモノにも、同様の価値がある。

手垢がつきすぎるのも、時に良くない。逆に、その汚れで全体が馴染んで美しさが増すものも、当然にある。

 


結局は、出来たものに対して、送り手受け手がどう思うかで、ある。

芸術、創造というのは、本当に面白い。

 


完成した反動か、日頃の疲れか、しばらく、グダグダとする。マウスのクリック音と携帯のタップ音だけを部屋に響かせ、ちょいと動画に手をつけ、またグダグダとする。

こういう時間は無駄だとは思うが、全く効能がないわけでもない。

とりあえず、精神は休まった。間違いなく。

 


夕方前くらいになり、やっとこさギターを持ち、前述の新曲の練習をする。

練習のはずが、ちょっと弾いたらちょっといいフレーズが浮かぶもので、2つほど録音する。

やだわー、思いついてしまうわー、やだわー。

 


軽く試し録りをした後、本番に移る。

「ヒズミ回奏」は、アイフォーンのボイスメモによる、一発録音で行なっている。

これは手抜きと言えば手抜きだが、これを手抜きと言ってしまったらキリがない。

例えば創作という面から見れば、バイトなんざ体力と時間の無駄であるが、辞めるわけにはいかん。

毎日書いてるこのブログだって、手書きの方が気持ちは伝わるが、そんな事をしたら死んでしまう。

大切なのはバランスである。

 


それに、携帯、結構いい音で録れる。

アイフォーン、やるじゃないか。

 


何回か歌詞を間違えたり、演奏を間違えたりしながら、何とか1曲分録り終える。もう今日は、これができればよしとする。

 


少しだけ、ブログをしたためて、実家へ参る。

飯をいただく。

 


食後、コーヒーをもらった後、サポートベースお嬢と電話。今後のスケジュールや諸々について話し合う。

興味ないと思っていたが、ちょいちょいこのブログも見てくれているらしい。いぇーい、お嬢観てるぅー?

 


しかし日程的にはそこまですり合わず、少しだけ泣きを見る。いや、色々と連絡の遅れたこっちが悪いのですが。

「忙」しい、という字は、心を亡くすと書くのだ。痛烈だね、もう。

 


まぁしょうがない、合わないものはしょうがない。合わなければ、また組み直すだけ。これでいいじゃないか。それでいいじゃないか。

 


それで、単純に、良ければ、楽なんだけどなぁ。何を言っても、仕方がないが。

 


そして事務所に戻り、ブログを書いている、なう。

 


間延びした1日であったが、やる事も少しできたし、心身も休まった。

こういう日を、初めから、開き直って遊べる日にできる人は、強いのだろうなぁ。考えてみよう。

私、遊ぶのめっちゃ好きですので。

 


遊ばなければね、人生ね。ほんとね。

じきに、寝ます。