ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

4月19日 「自分で動く」ことは難しい。

結局、「自分で動く」ことは、とても難しい。


我々は脳味噌より信号を飛ばし、その電流の速さをもって、意志を行動に変えることができる。反射で動く時には、そこに思考すら介在しない。ただひとつの生物が動き、物理が生じ、思考が追いついた時には結果だけが残っている。

しかし、それでも我々は、嫌な仕事を、でもやるべき仕事を、いつまで経ってもやる事ができない。

つまるところ、もう意志がそれを否定してきるのである。やりたくないと、魂がそう叫んでいるのである。それはもう、人間というか、生物としての本能である。自己研鑽をする犬はいないし、ダイエットをする猫もいない。世の中には、たまに全てを投げ打ったような人類がいるが、それらはそれらで、生物として正しい姿なのかもしれない。


しかし、それらが、全くできない訳じゃない。消極的にしろ積極的にしろ、気が向いた時はやるのである。

で、やったらやったで、充実感と達成感で気分はよくなり、なんでもっと早くやらなかったのだと嘆き、大抵は予想していた時間より早く終わる。


やりたくない事は、続かない。そこに何かしらの、具体的な力が働かない限り、絶対に続かない。「決心を新たにする」なんて、クソの役にも立たない。


じゃあどうすれば良いのか、結局は、自分の特性を理解したのち、上手いこと誘導してやるしかない。

例えば私の場合、動画制作はどんなに頑張っても、連続で1時間半が限界である。そして、仕事終えた後、食事の後は、なかなか次に移れない。

ならば初めから、それを見越して、動けばいいのではないか。自宅で1時間半やったのちに荷物をもって外出、食事を摂り、可能ならその場で別の仕事を始める。などすれば、効率よく仕事ができるのではないか。

そうやって、特性を理解して、「自分で動く」のではなく「自分を動かす」ことで、これからの仕事を、より効率的にできるかもしれない。

 

 

 

ふぅ、軽く書いているうちに何か興が乗ってしまって、自己啓発文みたいなのが出来上がってしまった。

どうだろうね、結局無理な気がする。そもそも我々は仕事をしたくないのであって、「仕事を早く終わらせる方法」ならまだしも、「仕事に向かう方法」なんてのは、それがもう、あまり効率的ではない気がするもの。

 


そんなこんな、本日は、北九州、ソウイチロウ君宅を借り、ずっと作業をしていたのだ。

いや、「ずっと作業をしていた」は誤りである。私がしていたのは「作業」と「作業に向かうための儀式」だ。


昨夜の深夜練習を終え、朝は11:30に起床。わざわざ福岡から持ってきたバナナを食らい、昼過ぎてソウイチロウ君を仕事へ見送った。

そこからは、作業と儀式を、ぐるぐると繰り返していた。

 


昼、近所のドラッグストアにて、何日か分の食料と、始まるツアーの物資と、ソウイチロウ君宅の替えの電球を買う。

キッチンを借り、阿呆ほど安かった餃子を焼き、レンジでうどんを茹でる。うどんはお湯を捨て卵と納豆をぶち込み、焼き上がった餃子を添えて昼食とする。

そこから、儀式が始まる。

ひたすらに携帯をいじり、少し眠り、起きてコーヒーを飲んだあたりで、自分の無能感に嫌気がさし、作業を始める。


昔から「秘書」とか「マネージャー」みたいな存在がよくわからなかった。自分の事くらい、自分で管理せいよと思っていたが、この歳になってわかる。管理って、めっちゃエネルギーを使う。

 


繰り返しているうちに、夜。

阿呆ほど安かったソーセージを炒め、阿呆安の焼きそばを焼き、一旦どけて卵を広げ、生意気にもオムそばにする。

過去8年ほどの自炊経験を、舐めてはいけない。


流石に、儀式が時間的にキツイので、タイマーをかけて、散歩に出る。今度の儀式は、定時で終えるぞ。

北九州、この辺りの夜を徘徊するのは久しぶりである。昔馴染みの道並を、満月が照らしていた。車の音だけが響いている、静かな夜。薄着を通る風が、少しだけ、肌寒い。

良い、夜である。途中、猫もいた、素晴らしい。

 


戻り、そしてまた作業。

さて、今度は、ブログである。