ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

5月15日 意志と意地の維持

朝である。9:30に起床。

起きたが、眠い。昨日はハシャいでしまった。3時までくらい、台本を書いたり、作業をしてしまった。ので、眠い。

 

最近気がついた。もう、業務は、やる気になった時に、やった方がいい。ADHDくさい私の活動は、いくら生活を整えたところで、いくら健康を改善したところで、やる気が出なければ何もできない。夜更かしだろうが、不摂生だろうが、気持ちのままにやらないと、仕事が終わらないのだ。やるしかない。

ので、今は、眠い。とても眠い。とりあえず、もう一度ベッドに倒れこみ、脳を起こすべく、携帯をぽちぽちと、いじる。


朝である。10:45に起床。

無理だった。完全に、意識が切れていた。携帯は、いつのまにか落ちていた。まぁまぁ、仕方あるまい。そこまで寝すぎという訳でもない。気を取り直して、動くとしよう。喉が渇いていたので、お湯を沸かすのも面倒に、水をかっくらう。

とりあえず、パソコンを動かす。適当に目を覚ましながら、バナナを齧る。

思い立って、明日ある演劇の練習の、予約を取る。電話をかけて、色々とやりとり。市民センターなんて、ちゃんと使うのは初めてかもしれない。できるもんだな。

電話を終えて、さて、動画を作ろう。ノンフィクションの映像は先日公開したが、もう次の分を作らねばならない。面倒を感じながら、映像作製って、一度止めてしまうと始めるのも凄い面倒になるので、勢いついたままやるのは、良いかもしれぬな。

昨日買った外付けHDDの3TBという容量に無敵感を感じながら、過去の動画をぶち込み、パソコンを軽くしてから、携帯の動画をパソコンに流し込む。この作業も結構に手間でね、何とかしたい。こんな事に、意志の力を使いたくはない。

意志の力は有限である。これホントマジで、ホント、マジなのよ。したくない事をするにはこれが必要であるが、1日に使える力の量は決まっていて、それ以上はどうやっても、何もできないのだ。

意志の力は、遊んだり、味覚を潤したり、いわゆる「快」によって補填される。この辺と、時間とお金と健康のバランスが、難しいところ。しかし私は、少なくともこのシステムには気がついた。上手いこと、攻略法を見つけていこう。私結構、ゲームは得意である。このゲームはだいぶエグいけれども。

準備はできたので、動画を並べて、切り刻み始める。5月前半は、4本の遠征ライブがある。動画は1本、30分くらいに収めたいのだが、これ、できるのか。今から、無理じゃないかと思っている。まぁ、やるしかないが。


それなりに切って、集中が切れる。そこからは液晶と触れ合って、遠回しにしていた連絡を取り合ったりする。

そのうちに、そういえば明日は演劇の練習なんてなかった事に気がつく。何をやっているんだ私は。しかし、予約は取ってしまった。連絡をしたら、何とか合わせてくれるようだ。すまない。少しでも多く合わせておきたいので、甘えさせてもらう事にする。めっちゃ詫びる。

 

さて、完全にやる気は切れてしまっていたが、これはもう少し、台本を書かねばならないな。折角明日練習ができるならば、それなりに仕上げていきたい。キーボードを介して、意志を液晶に刻印していく。

 

そのうちに、日が暮れ始める。この辺りで、携帯に通知がひとつ、メルカリでひとつモノが売れたのである。最近、不用品を整理しているのだ。お金はいくらあっても足りない。昔やっていた、カードゲームの、お金になりそうなやつは売ってしまう。中には四、五千で売れるやつもある。結構に助かる。

発送の準備をして、そのままコンビニへ。笑顔の素敵な店員さんに預ける。メルカリ、宛名も自宅も書かなくていいとか、凄よな本当。世の中便利になったもんよ、本当。店員さんに礼を告げ、コンビニを出て、そのまま実家へと向かう。

実家にて、飯を頂く。いつからか、小学3年生から英語教育が始まるらしい話の是非を回しながら、飯を頂く。父は「日本語もまともにできてない奴がいるのに」と嘆いていた。こういうところ、好きである。

 

その後は、実家でのんべんだらり、さくら嬢は今日も構ってくれない。撫でようとしても、ウニァと言われて去ってしまう。私は悲しい。

水曜日のダウンタウンに笑ったら、バナナをくすねて、事務所へ戻る。外は、もう全く寒くはない。今からまた、夏になるのか。

 

事務所へ戻り、ブログを書き始める。あとは、Tシャツ作製の準備だけして、台本をもう少し書いて、眠るであろう。明日は演劇の練習である。