ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

もやしラーメンと私

「もやしラーメン」なるものを、食べた事がない。

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時は昼、仕事帰りのラーメン屋にて、私はラーメンをすすっている。高校時代によく行っていた、テーブル2つとカウンターの小さな店である。残念ながら値上がりしてしまったが、変わらない味でいてくれるのがありがたい。

個人店らしい、雑然とした店内。他に客はおらず、ラジオの声を聞きながら、さて替え玉はいくらかとメニューを見る。その時に、ふっと、見えた文字列が、何故だか脳に引っかかった。

「もやしラーメン」

もやしラーメン、それは通常のラーメン600円に、プラス50円で頼めるメニューである。私は頼んだ事はないが、たぶん、もやしが多く乗っているのだろう。想像は容易い。隣には「わかめラーメン」もある。これも同上だろう。

替え玉を注文しながら、私は考える。「もやしラーメン」これを果たして、私が頼む日が来るのだろうか?

 

チャーシュー麺はわかる。通常のラーメンに1、2枚乗っているチャーシュー。それが丼一杯に広がっているのは壮観である。「肉」という圧倒的アドバンテージ、満足度も高いだろう。

しかし、ラーメンに多く乗るもやしに、私はなんら魅力を感じない。そりゃあ、もやしは嫌いではない。しかし同時に、そこまで好きでもない。丼に、少し多くもやしが乗っているという事象は、私の心をまぁ動かさない。

しかも、このプラス50円というが厄介である。100円ならば高いだろう。30円ならひょっとしたら私も頼むかもしれない。しかし50円、50円である。50円ならば、私はテーブルに常備された茹で卵を頂く。

この店だけでなく、たまに他の店でも見かける「もやしラーメン」。まだまだ、分からない事が沢山ある。既に食べ終わったラーメンのスープと水を交互に飲みながら、世の理に思いを馳せる。ちなみに私は、このスープの動きを「スープ&ループ」と読んでいる。

 

しかし。

ひょっとしたら、私も頼む日が、来るのかもしれない。

私ももう30歳になった。昔ほどの量、肉と脂は食べれず、魚の美味しさが年々増してきた。そもそも、食べる量自体も、減少傾向にあり、確実に年齢の影響を受けている。

このまま、年月が進めば、替え玉も食べられなくなり、せめて少しでも、食べれる量をと「もやしラーメン」を頼む。そんな未来があるのかもしれない。

それは、今考えるととても辛いが、時間というものは常に過ぎていく。仕方のない、事なのだろう。

 

思考がそこまで漂流しているうちに、スープをほとんど飲んでしまった。これも、ここまで飲めなくなる日が来るのかもしれない。考えながら食べたものの勘定をする。

すると、客が一人、入ってきた。子供である。たぶん小学生、大きくても中一だろう。彼は入店するやいなや、何でもなしにこう言った。

「もやしラーメン、かためで」

唖然である。あの歳で、もやしラーメン?チャーシュー麺には目もくれず、もやしラーメン?事もなさげに、もやしラーメン?

世の中には、まだまだ、わからない事がたくさんある。

よくわからない敗北を喫した私は、もやしのようにヘロヘロと、支払いを終えて店を出る。

替え玉まで受け入れた胃が、少しだけ、苦しい。