2022/6/15
廃墟ディストーション
昼、水曜日なので食べたラーメンがとても美味しく、至福のままに散歩をしておりました。ラーメン屋の周り、普段は来ない地方を散歩するのは、けっこう愉快なもんです。天気も晴れ過ぎず雨も降らず、とても丁度良い。これはもう、至福でしたね。
歩いていると、一棟の建物が目に入りました。集合住宅ですが、見るからに誰も住んでいない。入口は封鎖され、周りの草も生い茂っている、廃墟と言っていい建物です。
近くにもう一棟ありました、どこぞの社宅だったようです。
木の板で封鎖された入り口には、番号付きの錠が掛けられていましたが、その錠前も錆び付いていて、もはや完全に忘れ去られた建物でした。部屋も、郵便受けも、ベランダも、内部を通る水道装置も、そのすべては役割を終えて、沈黙のままにそこにあります。
古い建物だったので、老朽化でしょう。別に、何か事故があったり、誰かが傷ついたりとか、そういう訳ではないと思います。順当に建った建物が、順当に古くなっただけです。しかし、なぜだか私は、この建物を見ていると、何ともいえない、切ない気持ちになります。空洞に秋風が通るような、少し冷えた寂寞に包まれるのです。
沢山の人が暮らしていたのでしょう。この建物の中で、沢山の感情が駆け巡ったのでしょう。子供が笑ったり、恋人が触れ合ったり、男がひとり、暗い部屋で孤独に泣いたりしていたのでしょうか。そういった様々な情念が、シミのように建物中に広がっている。じっと見つめていると、そのシミが少しずつ浮かんでくる。そんな気がするのです。
昼下がり、閑静な住宅街の一角に、凄まじいまでのディストーションが溢れていました。この廃墟は放置されるか崩落されるかの二択。私は何もできないし、そもそもたぶん誰も悲しんでいない。それがわかっていても、私はなぜか、まだ少し、寂寞の中にいるのです。