ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

明日からちゃんとやります

 

 

 

 

2022/7/25

明日からちゃんとやります

「何でもないような日」が何日も続くと、どうも良くないです。書くべきノートが湿気でぶよぶよになっているような、面倒臭い不快感があります。そいつが部屋のそこらじゅうに沈殿して、思考や反射が鈍り、人生にキレがなくなってきております。

普段、より良く生きるためになるだけ決めている習慣やルール、毎日ギターを弾く事であるとか、週に1冊は本を読むことであるとか、シンプルに洗濯や掃除をきちんと定期でやること。そういった事は日常の流れの中に組み込まれており、その流れの中でやる事はそんなに難しくはないのです。しかし一度、日常か、もしくは流れかのどちらかが失われてしまうと、もう大変。それまで「継続」として支払っていたコストに「再開」が追加され、一気に労力が増えます。これがもう、中々に、重い。

何が辛いって、「継続」っていうのはある程度称号みたいな面をもっていて、長く継続すればするほどその称号は輝きを増していきます。しかし一度途切れてしまうと、残念ながらその称号はそこで終わり。また一からの積み立て直しです。継続中が誇れれば誇れるほど、中断してしまった時の落胆は深いものになります。あぁまた続けられなかった、もうどうせ私は続かないのかもしれない。そうやっていくつもの習慣の苗を、土ごとゴミ箱に流し込んできたのです。

でもまあ、それでも、やらねばならん事はやらねばならんのです。ギターは弾かねばならん。本も読まねばならん。掃除や洗濯をせねば生きてはいけない。再開のコストは中々に重いですが、重いことにもぼちぼち慣れてきたので、目処は立てやすくなってきました。

あとまぁ、継続、なんて称号は、実際大したもんじゃないですよ。そりゃもちろん偉いし、凄いんですが、何度も辞めながら何度も再開してきたというモノも、中々に立派なことです。どちらの方が凄いなんてのは個人の感想ですな。

だからまぁ、結局、やりゃあいいのです。やりゃあ。面倒くせぇとのたうち回り、無限の呪詛を虚空に吐いてでも、やればいいのです。ここしばらく非日常で、色んなものが中断してしまったので、そろそろ再開をせねばならん。よし、明日からちゃんとやります。