ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

ラヂオの時間

2023/2/9

最近は、たまにラジオを聴いています。アマゾンの奥地から発掘された、少し無骨な大きいラジオ。小さなスピーカーから垂れ流される、ノイズ混じりの音が、暗い六畳に時々反射しています。

少し前にラジオを買いました。33年間生きてきて、ラジオを買うのは初めての出来事です。よく「学生時代にラジオを聴いてそう」と思われがちな私なのですが、私の人生においてラジオが関わってきた事はほとんどないです。せいぜい匿名ラジオをよく聞いているくらい。それも最近の話です。

それこそ、高校時代はスクールオブロックとか、憧れはありましたが、まぁ手は出しませんでしたね。何故でしょうか、自分でもよくわからんですが、私が平均より早くインターネットという悪魔に出会ってしまった事は無関係ではないと思われます。

ダイヤルを回さず、ヘルツも弄らず、音楽番組も、朝のニュースも、深夜ラジオも通らなかった私が、何故か最近になってラジオを聴いています。使っているのは主に朝、身体を起動させるためのエンジンの噴かしみたいな役回りです。前までは携帯で適当なユーチューブかなんかを垂れ流していたのですが、動画を「選ぶ」という行為が時折、無性に面倒くさくなる時があったのです。

その点ラジオならば選択肢がまず少ない。だいたい朝、寝起きの脳味噌なんてどうせロクに聞こえていないので、とりあえず人の声さえ聞こえれば何でも良いのです。また、ユーチューブで選んだ動画は最後まで見なけりゃ私は気持ちが悪くなってしまうので、出勤までの時間を計算して動画を選ぶのがまた面倒くさい。ラジオならわりかしいつ消しても良いので、スパッと消して気持ちよく出勤できます。スイッチを動かし、ラジオを消した瞬間の、あの一瞬の浮遊するような濃密な無音。あれは結構、精神を「やるぞ」という気にさせてくれますので、とても重用してます。

だから本当に、私はラジオを使っているだけですね。そもそも楽しむ気はあまりないですし、ここから深夜ラジオを聞こうなんて気もまるでないです。ただ、ラジオが鳴って、今この時間、リアルタイムで何処かで喋っている人の声を聞くのは、私という人間の希薄な社会性を少しだけ社会と結びつけてくれる気がして、なんとなく嬉しくなります。

朝、寝床から引き剥がして呆ける脳、ベランダで太陽を浴びながら、お湯を飲み、何処の誰とも知らん音質の悪い会話を聞く。気のせいなのはわかってるんですが、少しだけ、この社会の脈みたいなものを感じて、私の心も少しだけ、温かるなる気がするのです。