ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

文化とかいう文の化身

2023/2/24

昼、飯を食らいながら、スマホにて音楽を流していました。

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前に友人に教えてもらったharuka nakamura。叙情感に溢れて素晴らしい音楽です。写真は今撮ったやつ。

暗く静かな部屋に、風景のような旋律がスマートフォンから鳴り響く。それだけで食卓の色は変わるもんです。これも音楽の力のひとつ。食事の味も、少なからず深みが出る気がします。もちろん気のせいなのですが、気のせいってのは馬鹿にできないもんです。

スマホで音楽を聴く事にとやかく言う人がいますが、私は別に良いと思っています。もちろん音質はCDやレコードの方が良いのでしょうが、昔の人はこれよりもっと酷いラジオを聴いていて、そこから幾人ものロックスターが生まれたのですからね。音質の話ならばあんまり悪くは言えないはずです。

音質はもちろん大事なんですが、音質を気にして音楽を聴く機会が減ってしまうのも考えものです。大切なのは、文化に触れる機会を増やすことだと思っています。音楽に限らず、文化、いわゆるカルチュアですね。人が作ったナニかに触れる機会を絶やさぬこと、これが大事です。

音楽はもちろん、映画、小説、絵画、アニメ、ゲーム、詩、演劇、人の作りしモノなら大体なんでも良いです。過去の名作でも良いですし、現代の最新作でも良いです。明らかに営利目的で作られたモノでもまぁ悪くはないのですが、できればきちんと魂込めて作られたモノが良いですね。そういうのは栄養が豊潤で、とても精神に良いです。

文化ってのは、私は精神の食事だと思っています。脳が食事を求め、摂取した栄養価によって身体が作られるように、精神もまた摂取した文化によって作られます。身体同様、骨格や体格が過度に変わるようなことはありませんが、精神的な筋肉や内臓機能みたいなものは、取り入れた作品によって結構変わると思います。

厄介なのは、飯は食わねど死んでしまいますますが、文化を摂取しなくても餓死はしないところですね。もちろん変化はしてるのでしょうが、直接的に死に至る事はありません。なので忙しいとついつい後回しになってしまい、結果精神に不調をきたす、なんて事になってしまいがちです。私もたまになります。気をつけねばならんです。

文化ってのは、読んで字の如く、誰かの発する文の化身です。誰かに蓄積されたテキスト、ただ口を動かして言葉にすれば意味を取りこぼしてしまうテキストを、芸術で縁取りしてこの世に顕現させたものであります。それに触れるというのは誰かに触れるということ。ある意味ではコミュニケーションみたいなもんです。

だから、文化には触れておきましょう。幸いにして我々は、それにアクセスできる手段がいくらでもあります。それを発する人間も現世にはいくらでもいます。わざわざ自らの人生を削り、作品を生み出すことに命を懸けてる奴等がいます。良いもの見つけて、悪いものに落胆して、そうやって精神を鍛えていきましょう。

食事を終え、音楽を止めると、また暗い静かな部屋に戻りました。身体的にも、精神的にも満たされた私は、さっきまで流れていた曲の知らない歌詞を適当に口ずさみながら、また次の作業へ移るのです。