ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

本気の話

「本気」って、何でしょうか。

 

そりゃあ、私は音楽はまぁ好きだし、バンドで売れたいですし、本気でやってるつもりなのは、間違いないのですが。

だからといって、睡眠等必要な時間以外の時間を、すべて音楽に回せはしませぬ。

 

「売れたかったら何でもできる」みたいにほざく奴がいますが、あまりにも理想論。実際にできる奴が何人いるのやら。そしてそれを言う奴は大体、売れなかった奴であるから注意しろ。

生きていくには金がいる。金がいるなら働かねばならぬ。しかし働かず、借金をしてその時間を音楽に割くこともできる。二百万くらいあれば、1年くらいは働かずに生きられるだろう。私なら2年半いける。

それができるのに、週何十時間と言うバイトをやっているのなら、「本気ではない」のか。

 

それに、例えば一切の本も読まず、映像も見らず、友人と食事にも行かず、ずっと音楽をやり続けた奴がいる。そういう奴は「本気」と言っていいだろう。しかしそういう奴の音楽は、往々にして、面白くないと思う。

そりゃあ、上手いもしれないけど、そこに芸術としての面白さはない。そして上手いだけならこのご時世、機械で十分事足りる。機械は未来永劫、上手い。

 

さて、本を読んだり映像見たり、いわゆる「遊ぶ」事は良い曲を作るのに必要だろう。いわゆる「芸の肥やし」という奴だ。

しかし、その遊び、その遊びのすべてが、必要なのだろうか。何割か「サボり」になっていないだろうか。無駄な時間がないだろうか。

さぁその線引きは誰が、どこでするんだ。

 

そもそも、ただ売れたいだけなら、音楽よりも企画広報宣伝に時間を割いた方が、売れる。まぁ間違いなく、こっちの方が、売れやすい。もちろん、音楽がカスならどうにもならんのだけれど、宣伝ができないでは、こちらもまたどうにもならん。

全員で、音楽をする時間を減らして、宣伝をしまくるのが、果たして「本気」なのか。

 

よくわからなくなってきた。

もちろん、心意気、心構えとしての「本気」はある。が、「本気です」と言うだけで本気認定されるのならば、そもそもこんな疑問は出ない。

わからない。

 

ただ、人の話す「本気」を、疑ったり、否定したりしては、いかんよな。

それだけは、間違いない。