ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

バンドと宣伝

2023/3/15

ラーメンを食らい、湯に浸かっておりました。外気も暖かくなり、露天が気持ちの良い季節になってきました。寒さが恨めしい時もありましたが、なくなってしまうのならば少しだけ寂しさを感じます。まぁいつものことです。

少年時分よりも、時が経つのが早く感じるようになって久しくなります。今では昔の感覚は思い出せませんが、半年、くらいの単位から永遠を感じ始めていたもんです。欲しかったゲームが1年の発売延期、とかになると、腹を空かせた野良犬のようにまだかまだかと憔悴していたものです。今となっては半年はおろか、1年だって大した長さじゃありません。

ただまぁ、悪いことばっかりじゃないですよな。その分、漫画の新刊なんかも昔よりは良いペースで得る事ができます。楽しい予定も早く来ますし、「1年間の練習が必要」と言われても、そこまで大した長さには感じません。まぁ来年公開!とされていた映画が、いつの間にか行きすぎて公開終了してる時もあるので、その辺は気をつけねばならんのですが。

そんなこんなで、年明けから始まったツアーも、気がつけばファイナルを迎えようとしています。3/18(土)に福岡天神の四次元にて、お待ちしております。どうか観に来て下さい。

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わかっています。こんなふうにですね、一見して普通の文章と思わせて、最後には宣伝を混ぜてくるの、あまり好きじゃないですよね。私だって、今回は意図的にやってみましたが、本来はこういうやり方は好きではないです。

何故なんでしょうね、宣伝が絡んだ瞬間、前半の文章なんかも白々しく、嘘に塗れたように見えてきます。「職人のドキュメンタリーかと思ったらにんにく卵黄の通販番組だった」時のあの気持ち。ひらたく言えば「騙された」と感じてしまいますよね。別に、前半で書いたこと、思ったことは嘘ではないのですがね。

その辺りの葛藤を、バンドの初期からもうずっと、10年以上は持っています。ぶっちゃけて言えば、宣伝はしたくないです。だって宣伝自体は面白いものではないのですし、仮にバンドに需要はあっても「バンドの宣伝」にはどのくらいの需要があるのでしょうか。ユーチューブの広告は全世界から疎まれています。それに「色々言っても結局は金か」と言われれば何も否定はできません。だって結局は金になってしまうのでね。もちろん「表面上は」の話なのですが。

それでもね、宣伝はせねばならんのです。宣伝をしなければ我々はもちろん、また別の誰かしらが不利益を被ってしまうのです。疎まれたって企業が広告を打ちまくるのは、それ相応の価値があるからです。しかし中には悪目立ち、と言いますか、人を不快にしたり、傷つけたり、騙したりして、それを売名とする人たちもいます。「無名より悪名」なんて言葉を掲げて、それが市場の理だと胸を張る人たちがいます。ああはなりたくないもんですが、ただ闇雲に、誰も聞いてない場所でも宣伝をする我々がどう違うのかと言われれば怪しいもんです。

魂込めてやってます。魂込めて叫んでます。それでも、人は魂だけでは生きられません。「人はパンのみに生きるにあらず」みたいなもんで、「人は魂のみに生きるにあらず」です。同時に「人は金のみに生きるにあらず」ともいえます。その辺は切っても切れぬ関係、永遠に付随しているのです。魂でバンドはやってますが、それはあくまで「魂の割合が一番多い」というだけの話です。

バンドってのは、非常に不安定なもんです。魂を叫びながらも、それを営利としなければきちんと生きていけない、そういう歪さがあります。だからせめて、チケット代以上の価値を生み出そうと、日々修練と研鑽を積んでいるのです。

しかしそれでも、いくら修練を積んでも、その存在を周りが知るかどうかは別の話。「知られなければ無いと同じ」なんて悲しい言葉は使いたくないですが、乱暴に言えばその通りです。だから宣伝がいるのです。しかし宣伝を混ぜてしまったら、きちんと魂込めて書いた文章にも白々しさが現れてしまいます。

ここで1周しました。どうしたもんですかね。

まぁこれは悩みというか、愚痴に近いものですよ。どうあれ宣伝からは逃げられません。しかしそれを皆さんに気持ちよく、相応しい形で発表する術を私は持ち合わせていません。ここら辺が我々の、ある程度の、漫然とした詰みなのです。

そんな事を考えながら、いくら考えても答えは出ず、10年以上が経ちました。早いもんです。きっと大した答えは出ないまま、また凄まじい早さで時は過ぎるのでしょう。考えすぎなのでしょうか。しかしどうにも、この思考を放棄する気には、私はなれないのです。