ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

炒飯クロニクル

2023/4/10

夕方、キッチンの電灯ひとつだけ点けて、卵を炒め、野菜を炒め、米を炒め、炒飯を作っておりました。出来上がったら皿に移して少し冷まし、よく混ぜた納豆を絡めて納豆炒飯です。納豆は調理時に混ぜると熱で栄養価が死んでしまうので、こうすることで最大限に摂る事ができます。味噌をお湯で溶いただけの味噌汁と、適当に選んだミュージックも加えて、黙々と夕餉を喰らっておりました。

大学から一人暮らしをしていたので、こんな風に、ひとり飯を作ってひとり喰らう夜を、もう何度も送ってきました。私の自炊の腕も随分と上がりました。財源のない現状はもちろんですが、そんなに金に困ってない大学1年のころから、未来「こう」なることを見越して貧乏生活を送ってきてましたからね。先見の明がありましたよ。まぁ考えてみれば、当時から自分がそんなに売れると思ってなかったのかもしれません。

如何にして安く日々を暮らすか、という点において、不便に思った事はありますが、苦痛に思った事はあまりありません。むしろゲーム感覚で、どれくらい節約できるもんかと遊んでいましたね。一時期なんかは菓子さえ買わず、自宅でコトコト錬成していましたからね。美味しくはなかったので、すぐに辞めてしまいましたが。

贅沢ができればそれに越したことはないですが、贅沢をしたいと思うこともあまりありません。自炊もほとんど苦に思っていないですし、なんなら自炊の手間よりも、大して旨くもない出来合いの飯にお金を払う方がストレスが多いかもしれません。

まぁ何にしたって、この世の中に面白いモノが多いのが悪いです。面白そうな様々に財源を回していたら、金がいくらあっても足りやしません。もちろん食だって楽しみのひとつなのですが、私はそれよりも他のことにお金を使いたい。自分で旨いモノを生み出すのも、それはそれで楽しみはありますしね。「この値段でこんなに旨いモノを作った!」って心中で喝采しながら、今日も炒飯を喰らっておりました。

みじめさや寂しさを、感じた事がないと言えば嘘になりますが、まぁ普段ほとんど感じる事はないです。貧しくとも、ひとりでも、私は炒飯に舌鼓を打つ私と常に一緒にいるのですからね。未来どうなるかはわかりませんが、過去と現在はこれで充分だと、私はそう思っています。