ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

そのあと、それでも

2023/12/6

昼過ぎにラーメンを喰らい、腹ごなしに町を徘徊していました。それなりに見知った町でもまだ知らない道があり、現在はツアー中のせいか、知らない道を歩くと「今日はライブなのでは?」という気持ちになり、勝手にMCを考えたりしていました。ライブの日、開演前によく会場周りを散歩しながら、MCを考えたりしています。会場にいたらつい誰かと話してしまうのでね。

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馴染みの猫や初対面の猫に挨拶しながら、満腹の腹で回遊していました。空は快晴、気温も穏やか、腹も膨れて、のんびりと散歩するのは至福です。普段は気にならない、神社の松の木の造形とか、枯葉の手触りとか、取り壊しが決まった誰も住んでないアパートとか、道行く学生の談笑なんかを感じながら、コンクリートを踏んでいました。世の中は何もかも、考えたり感じたりすれば「面白い」ものだらけですよ。普段は中々、そうしてる暇はありませんが、たまに感受性を開放してみると、ただの散歩でも結構満たされたりします。

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そうしている間にも時折、頭をよぎるのは昨日、逝去が発表されたチバユウスケの事でした。彼ほど偉大なロックスターが亡くなっても、世の中はなんら変わらずいつも通りです。人類の損失なのは間違いないのですが、どうやらそれでも地球は回っていくようです。

そういう意味では結局、彼も私も一個体の人間であることには間違いなく、何十億という日本国民の中のひとりという点では、何ら変わりはしないようです。そう思うと少しだけ寂しい気持ちになります。もちろん、影響力や存在感みたいな意味では私なんぞ比べるのもおこがましい存在ですが、あらゆる社会性を排すれば「ひとりの人間が死んだ」という事実だけが地球上に横たわっており、それが私にはひどく無情に、しかし不謹慎ながら、少しだけ暖かくも感じてしまいました。

住処に戻ったらコーヒーを淹れながら、ミッシェルの「世界の終わり」を聞いていました。すべての音が濃い演奏で、狭いキッチンが震えていきます。結局は私はミッシェルもロッソもバースデイも観ることはなく、チバユウスケを液晶やインク以外で見たことはありません。なので私の中では、彼はある種、漫画や映画の登場人物のような存在になっています。一切の隙のないロックスター。そしてそれは永劫更新されることはなく、私の中で刻まれ続けるのでしょう。

曲も終盤、相変わらず曲が長ぇなと思いながらコーヒーを啜り、なんとなく、死にたくねぇなと思いました。