ヒズミ回想

とあるバンドマンの、変哲も平坦もない日常。

「ゲームをしていました」

2024/1/25

別段、特段、何もないような日でした。強いていうなら、ちょっと腰を入れてゲームをしていました。それくらいです。寒すぎる部屋に震えながら、それでも魂は熱中していました。

「本を読んでいました」とか「映画を観ていました」なら文化的に捉えられますが、「ゲームをしていました」とか「漫画を読んでいました」とか言うと、少しだけ落伍者寄りに見られてしまう気がします。まぁ実際私は落伍者みたいなもんなのですが、ゲームや漫画がそういうイメージを持っているのはやはり、由々しき問題だと思っています。

ゲームでも映画でも本でも、「物語に触れる」というのは、人生において大事なことです。仔細に描かれた人の感情に潜入すること、また人の感情を想像することは、人を人として豊かにします。ゲームというのは大抵の場合、登場人物の作業や思考を肩代わりするものになっているので、潜入や想像はより深いものになる、と私は思っています。映画で主人公が人を助けるより、ゲームで私自身が人を助けた方が、喜びもひとしおってもんです。

しかしまぁ、だからゲームはむしろ上位互換だ、なんて言うつもりはありません。ですが「物語に触れる」という点において、ゲームというモノは他のメディアにはできないアプローチをすることができます。アプローチが変われば、描かれるテキストもまた変わってくるのです。ゲームの歴史は浅けれど、馬鹿にできるモノではありません。

このブログでは何度となく語ってきたことなので、「またか」とお思いの人もいるかもしれませんが、それでもやはり「ゲームをしてました」という文章を書くたびに、私にまで少し罪悪感のようなものが浮かんでしまいます。好きにすりゃ良いはずなのですがね。何を後ろめたい事があるのでしょうか。困ったもんです。